「わたしをみて。」




 じぶんの髪がまとまりやすかろうがまとまりにくかろうが、きっとそんなのはわたしにとってどうでもいいことだったのだ。
 
 大きいおじさんがくれた服をわたしはずっと着ている。大切にしているんだね、とジュードに言われたことがある。いまは、そう。でも前からずっとそうだったのかと言われたら、よくわからない。気が付いたら少しずつ少しずつ、たとえば袖がほころびて、レイアが縫ってくれようとして失敗して、けっきょくローエンが縫い付けてくれるというのをなんどか繰り返していったのとおなじように、それはゆっくりわたしのなかでなにか大きなひとつになったんだ、とは思う。
 だけど最初に大きいおじさんが広げて見せてくれたとき、わたしはきっとおじさんが思っていたような反応はできなかったのだ。気に入らないか、とこまった顔で聞かれたのを覚えててる。わたしはすぐになんども首を振ったけれど、それは反応というよりもそうしないといけない気がしたというだけで、本当のところわたしは、どうしたらいいかわかってなかったのだ。着替えたわたしを見ておじさんがちょこっと目を細めたその理由だって、とにかくわたしはなんにも、なんにもわからなかった。
 だいたい、おじさんがいってしまったあとにティポがさんざん言うから、わたしはその場でくるっと回ってみたりなどしたのだけれど、あんなにくらい地下室のなかでは、フリルがどんなふうにひらめいていたかなんてこと、なにひとつわからなかったのだし。外に出るとこどもが裾を引っ張ってくるから、そうだ、もしかすると、正直なところわたしはこの服が、はじめはあまり好きでなかったのかもしれない。

「かわいい服だよね」
「え?」
「エリーゼのそれ。すっごくかわいいよね」

 だから会ったばかりのころそうレイアに言われて初めて、わたしはああ、そういうものなのだ、と知った。小さい子はそういうのが着られるからいいなあ、と続けたから、もっとわかりやすかった。きっとそういうものなのだ。「かわいい」という感じがじぶんの中になかったわけじゃない。だってティポやブウサギはかわいいし、きっとわたしもかわいいものが好きだ。女の子だね、なんてアルヴィンにからかわれたのはすごく気に食わないけれど、とにかくそういう感覚じたいはちゃんとあった。
 わからなかったのは、そうじゃなくって。

「レイア」
「うんっ!? ち、ちょっと、あとちょっと待ってね、これで仕上げだから!」
「どうして女の子は、かわいくしておくんですか?」

 レイアはヘッドドレスをとりそこねて、その勢いのままかたそうな樫のテーブルに、慌てて伸ばしていた指をぶつけていた。ちいさな悲鳴が上がる。そんなふうにしてとびきり急がなくちゃいけないほどみんなを待たせているというのに、レイアはいつも一番宿の部屋から出てくるのが遅い。となると部屋までもう一度行って呼んでくるよう言われるのはだいたいわたしで、そんなときいつもレイアは鏡の前に居る。探す必要もない。二度寝でもしてるんだよきっとってティポはぷんすかしながら言ってたけど、そんなこと一回もなかった。
 それはわたしにとってはとてもとても不思議な光景で、けれどレイアはごめんねって何度も謝りながらも、女の子なんだから、最低限はかわいくしておかなきゃね、と言うのだ。ここがいつも時間がかかるってくりんと巻いている毛先をなんどもなんども撫でつけて、ヘッドドレスの位置を鏡の前で首を振り振り調整して、ぱん、と頬をたたいて、はい、今日も笑顔いっぱいがんばろう、とこぶしを握るのだ。最後のは看護師としてのたいせつな掛け声でもあるとわかったのは、だいぶあとのことだけれど。
 ただ今日はわたしのひとことのせいですっかり手が止まってしまったレイアは、どうやら突き指してしまったらしい手を顔をしかめてひらひら振りながら、行きながらはなそうか、と半ば涙声で言った。ヘッドドレスは無事な方の手にひっかけていた。やっぱりちょっと気になるらしく、みどりのきれいな瞳が上の方をきょときょとしている。

「どうして、っていうと……うーん、いざ聞かれたら、けっこうむずかしい質問かも」
「そうなんですか……?」
「んん、まあ、私もそんなに説明上手な方じゃないから……あーっ、ジュードなら上手に説明できるかなあ。でも、物知りジュードくんじゃあ、絶対答えられないようなことだし」
「スゴーイ! ジュードが答えられないようなことを、レイアが知ってるの!?」
「ティーポー、あんたはいつもいつもひとこと余計なんだってば!」

 宿の階段を降りきったレイアは、振り返るがはやいかティポを捕まえようとしたのだけれど、浮いている以上いつだって分が悪いのはティポの相手をするほうなのだ。といって、みんなそれを理解していながら、この子の発言上、ついつい手を伸ばしたくなるんだろうけど。それを躱しつづけたティポもだてじゃない。ふよふよ浮いて定位置に戻ってきたティポをかかえてやると、朝から肩で息をするはめになってしまったレイアが、やっとヘッドドレスを取り付けながら、でも、と口を開いた。

「たぶん、エリーゼもすぐわかるようなことなんだよ」

 言ったレイアは、ちょっと肩をすくめてはにかんだように笑った。
 みていると、こころのどこか、あるいはもっとおくのほうが、ぽかぽかしてくるような笑顔だった。
 
 ――あ、いまのレイア、かわいい、と思った。




 わたしがレイアの言ったことをはじめてきちんと理解したのは、それからずっとずっとあとのことになる。
 というよりもわたし自身それをレイアにたずねたということすらすっかり忘れてしまっていて、知らないことは頭からぽろっと抜け落ちてしまって、それきり考え込むようなことも、たぶんなかったのだ。だからそれはあたりまえのように唐突に、わたしの頭の中で瞬いた。

「み、みらぁ、いひゃい、いひゃいれすぅ」
「ふふ、いや、すまんすまん」

 だけど、もうすこし。やさしげに細まった瞳は、吸い込まれるようなあかは云う。たまにたのしそうに笑うかのじょは、ミラは、すこしつめたい両手をわたしのほっぺに、その前までは考えられないようないたずらっぷりで、押しあてていた。おまけにぐにぐにと回したりかるくひっぱったりしてくるものだから、たまらない。痛い痛いとわたしは何度も繰り返した。けれどじっさいのところそんなに痛かったわけじゃなくって、どっちかっていうとくすぐったいというほうが近くて、ああでもくすぐったいのはほっぺじゃなくてちがうどこかで、離してくださいっていうのもたぶんほんとうに限りなくちかいうそで、えっと、えっと、えっと。
 もう自分でもばかばかしいくらいにそういうときわたしは混乱してしまって、ぱちぱちまばたきをむだに繰り返すくらいしかできることはなくて、周りに誰か止めてくれるひとが居たらよかったのに、どういうわけかミラがわたしに突然そうやってくるのは、いつだってふたりのときだけなのだった。だからいつもミラの気が済むまでわたしはくすぐったいまんまで、ふう、なんてまんぞくそうなため息をついたミラが次に何を言うのかといえば、きまっている。

「ふむ、今むしょうにお前をこうしたくなってだな」
「は、はあ……えと……そう、ですか」
「ああそうだ、それでだな、あまりに不思議だったから、ジュードに聞いてみたんだ」
「え、き、聞いたんです?」
「聞いた。私の感覚を説明して、どういうわけか尋ねた」

 人間の体をあたえられたミラの中には、ちゃんと感覚が存在する。だけど彼女はきっと、それにどういう名前がついているのか知らないんだ、といつもの小難しそうな顔をしたジュードが言っていた。だからはじめは空腹も風邪も知らないままで、こういう感覚だとミラのいうぼんやりとしたかけらを聞いて、ジュードがそれに名前をつける、というのがいつものやり取り。それを今回も、ミラはやったという。
 まだなんとなくむずがゆいほっぺたを両手でぺたぺたおさえながらミラのほうを見ると、なんだか機嫌がよさそうだった。べつにいつも怒ったふうに見えるだなんてことはないけれど、とにかくそのときのミラは、なんだかやわらかかった。いつも絶対に突き動かされたりなんかしないような芯がふとくまっすぐ通っているひとだけど、そのときは、なんだか。

「そしたら、ジュードはなんて言ったんですか……?」
「うむ、どうやらな、エリーゼ」
「はい……?」

「私は、お前のことがかわいいらしい。」


 そうして、あまりにもらんぼうで唐突な理解は、私の頭の中、きらり、きらり、瞬いた。


 それっきりわたしは、きっとあのときミラはうっかりライトニングでも放ってしまったんだ、そうに違いない、なんてひどいことで頭がいっぱいだった、でも、だって、目からとびこんできて頭の中閃いたそれはわたしになにをする猶予をちっとも与えないで、ゆびさきまでつまさきまで全部、すっかりとしびれさせてしまったのだ。おかげでわたしは次の町に着くまでずうっと戦闘にも参加させてもらえないままで、身体を動かすこともできなかったわたしは、結局そうなるがままにちかちかしびれているしか、できなかった。
 なんてことをどうひっくりかえしたってわかってくれるはずのないあのひとは軽々と剣を繰って目の前の敵を全部きりさいていく。ミラはまるで踊っているみたいにたたかう。それがいつもまぶしい。魔物からふき出るひどく気味の悪い色の体液が散っても、かのじょの輝きはいつだってゆらがない。共鳴をつながなくたって、どんなに煩雑なたたかいの場でだって、かのじょをみつけることは、おかげでいつもたやすい。だからちょっとでも傷ついたりしたらわたしにはすぐにわかってしまうわけで、エリーゼの回復は素早いから助かるな、ときらきらしているあのひとがほめてくれたのは、いつ、だった、ろう。

「……あの、レイア」
「ん、どうしたの、エリーゼ? 今日、なんだか様子がおかしかったみたいだけど……疲れちゃった? 今回は、道のりけっこう長かったもんねー。もう寝る?」
「そ、そうじゃなくって、あの」
「うん?」
「ミラが、わらったんです」
「………?」
「それで……だから、わたし、わたしは」

 部屋に入ったその瞬間わたしに袖を引っ張られたものだからきょとんとしているレイア、レイア、は、ただしかった。
 そうあのとき、わたしはミラのほほえみの向こうに確かに「こたえ」と呼べるものをみつけたと思ったのだけれど、それはわたしがちっともわからないとそのうち考えることすらやめてしまっていたことの「こたえ」であったはずなのだけれど、わかっていても、けっきょく、なんて言ったらいいかは、わからないのだ。なにを。どうしよう。どうしたい。どうなりたい。きらりきらりと頭の中ではまだ目を焼きそうなくらいにそれは光っているというのに、ああ、かけらに名前をつけられないのなんて、きっとミラだけじゃないんだ。

「かわいくなるって、どうしたらいいんでしょう」

 レイアの目は、今まででいっちばん大きく、見開かれた。
 だけど次にレイアが発したのは、たとえばわたしの頭の中で無数にぐるぐるしているような疑問の言葉のどれかではなくって。

「おいで、エリーゼ」

 ぽん、と膝を叩いたレイアは、やっぱりかわいい、と思った。



「ひゃっ! い、いたい、いたいです、レイア」
「わっ、ご、ごめん! んんん……エリーゼって、ふわっふわの髪しては、いるんだけど」
「え……」
「わりと、猫っ毛なんだねえ。なっかなか言うこと、聞いてくんない」

 こりゃ、朝は私より苦労することになるよ。そんなことは妙にしんけんな響きを持ってしまって、わたしは思わずレイアのほうを振り返ってしまった。そのせいで今の今までのレイアの苦労がだいなしになってしまって、悲鳴と一緒に、おしりの下でレイアの膝ががっくりと脱力してしまったのを感じた。ああしまった、と思ったころには、だいたいのことは手遅れだ。せっかくまとめてもらったのにあっという間にばらばらになって、じぶんでもレイアの見よう見まねで――朝のことがあったから、それなりに真似できるつもりでいたのに――ちょっと撫でつけてみたものの、気が付けばすっかりいつもの形に戻ってしまっていた。
 だめなのかな、わたしじゃ、だめなのかな。なんでもないようなことはしかしあまりにも簡単にわたしの背中をすうと冷やしてしまって、はじかれたように立ち上がったわたしは、鏡の前に駆け寄った。いつもどおりのじぶんだ。それはわかる。でも、それではいけないのだ。いけない、ような、気が、するのだ。だって鏡に映っているのはわたしだけがみているじぶんじゃなくて、それだけでは、なくて。

「レイア、わたし、わたし、どうしたら」

 ――ミラが、みているわたし、なのに。

「あっあー、おちついて、エリーゼ。焦りは禁物、禁物」
「レイアに言われたくないってぇ」
「ティポ!!」

 ティポにかみつきながらも、歌うようにわたしの背中までやってきたレイアは、鏡の脇に置いてあったポーチをとった。かわいいポーチ、でも、中に何が入っているのか、わたしは知らない。

「ふふん。女の子の鞄の中にはねえ」
「……?」
「かわいくなれる魔法が、たくさん入ってるものなんだよ、エリーゼっ」
「レイア、かっこつけー!!」
「へっへーんだ、男の子のティポにはわかんないからいいんですー!」

 言い合いをやめない、もしかすると器用なのかもしれないレイアが取り出したのは、ヘアピンだった。くろねこ、ついてる。かわいい。思わずくちびるから零れた言葉で、レイアは満足そうに笑った。猫っ毛だから、ってことで。そのシャレはあんまり上手ではないと思ったけれど、ティポはだまっていた。さあ、前を向いて、エリーゼ。だから、レイアの言葉は、しずかに響いた。
 なんど撫でつけても効果がなさそうな前髪を、レイアのわたしよりやっぱりすこし大きな手が、ゆっくりゆっくりまとめる。ぱちん、と、軽い音。それから、すこしの衝撃。目をつぶった。開いた。

「似合うじゃないか、エリーゼ」

 肩が、跳ねた。


「みっ、みみ、ミラ! いったいいつ入ってきたの!?」
「うん……? それなりに長い間居たが、気が付いてなかったのか?」
「気が付かないよ!! 声掛けてよ!!」
「あ、ああ、すまない……いや、しかし」

 じゃまをするのも、よくないとおもってな。
 ミラの涼やかな声がすこし遠くって、ついでにじぶんのからだの感じもずいぶんと遠くなっていて、気が付けばすぐそばにミラがいた。しかももっと近くなる。なぜって、かのじょはすらりと背が高いから、いつでもわたしのとおいとおいあこがれだから、だからわたしのところまでおりてくるとき、かのじょはいつも背をくっとまげて、そうしてふしぎな色の髪をゆらすのだ。

「エリーゼは、やはりかわいいな」

 そういってやさしく笑ったかのじょの、あかい瞳の中に映っているわたしが、見えたわけでは、ないけれど。
 けれど、できることならあしたもあさっても、もっとずっと、ずっとながい間、おなじように笑っていてほしい、と思った。

 わたしをみて、笑ってほしい、と思った。










「……で、なんで取り上げちゃったわけ?」
「む、取り上げてなんかいないぞ? 現に今もちょくちょくつけてもらっているのだし」
「でもそれってさあ、私と三人のときか、ミラとエリーゼだけのときじゃん」
「まあ、そうだが……なにか問題があるのか?」
「へ!? いや、問題はないけど……ないけどさ……」
「うーむ。まあ、私も正直なところ、扱いあぐねているのだ」
「ヘアピンを……? 仮にもマクスウェルだったミラが、たかだかヘアピン一本を扱いあぐねてるの……!?」
「それがだな、聞いてくれ。ジュードにエリーゼの話をすると、それは是非見てみたいというんだ。断る理由もないだろう? しかしな」
「し、しかし……?」
「どうしても、ジュードのいる前でエリーゼにこれを、渡す気になれなくてな。私が渡さない以上、エリーゼはどうしようもないわけだし」
「…………」
「しかしそれが半ば好都合だと感じている自分も居てだな、いや、ジュードだけじゃないぞ、ローエンの前でも、アルヴィンの前でも……む、どうした、レイア?」
「……いや、ちょっと頭痛が」
「なに、大丈夫か? ひどいようならジュードに言って……」
「い、いい、いいって、すぐ休んだら治るやつだから……っていうか、ええっと、うん、たいしたことないやつだから、うんうん」
「そういうものなのか……? 人間の体に関してはまだ不明な点が多いな……」

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