「ほしのおと」





岩べりに腰掛けて、足先でぱしゃぱしゃと水と戯れていたその子が、あ、と声を上げた。月明かりにきらきらと綺麗だった水は踊るのをやめて、彼女の親指の先あたりで、静かに波紋を描く。
そのちいさなちいさな波がゆっくりと私のところに届くか届かないかの辺りで、私はようやっとその子が一体何を見ていたのかを理解した。
その子自身の機微に関して私は相当気がつきやすいことを理解している。同時に、その子以外のことに関してはどうにも興味を持ちにくいことも。雨が降っても気にしない、槍が降っても気にしない。

だけど星が降ったら、さすがに気にする。


「すごい……」


囁くようにサーニャはそれだけ言った。でもそれがきっと一番正しい言葉だった。鼓膜を優しく震わせた、どこか夢見がちなその声が、「いま」をどこまでも真っ直ぐと表してくれていた。
私の微かな頷きは、きっと彼女には見えていない。サーニャの目はすっかり空に奪われてしまっていて、私のことなど写していやしなかったのだ。
けれども私の目だって、その時ばっかりは流石にサーニャのきれいな銀髪をつい追いかける癖をすっかり忘れて、静かな闇から表情を一変させた夜空に釘付けになっていた。


「わぁ、流星群だな!!」


そうして、サウナの後に行った水浴びで、私はサーニャと二人、星が降るのを見たのだ。


私たちがそうして見惚れている間にも、ひとつ、またひとつ、と、煌く欠片がすうと夜空を駆け抜ける。
綺麗ね、とサーニャが独り言のように呟いて、私はそれに導かれるようにして、サーニャの隣に腰掛けた。勿論、ある程度の距離を保つことは忘れなかったけれど。
ぜったいに触れてしまわないくらいの距離を取って、サーニャが腰掛けている岩の上に、私も腰を降ろす。濡れた体から雫がぽたぽた落ちて、岩を濡らした。
サーニャはちょっとだけ私の方を見てから、なぜだかふっと顔を緩ませてから、もう一度空に視線を戻す。その表情にくっと心臓が跳ねるのを飲み込んでから、私も空を見た。


「すごいな……」

「うん、すごい」


三回目。だけどぴったりな言葉を繰り返している間にも、星が、星が、星が。
三回目、の後はしばらくの間、私もサーニャも何も言わなかった。というより、言えなかった。何の音も立てないように、まるで息を潜めるようにして、ただじっとひゅうと流れていく星を見ていた。
サーニャと居ると常になんだか賑やかな私の頭の中も、そのときばっかりはやけに静かで。だけど変わらないことには、相変わらずサーニャのことを考えていた。
なんとも落ち着いた頭でサーニャのことを考えるとは珍しいな、なんてことにうっかり笑いそうになりながら、瞳に光が映っては消えていくのを感じながら、星を見上げながら。私は静かに思考する。
サーニャは夜が好きだから。だから、で繋ぐのが正しいかどうかはわからないけど、目の端に映るサーニャの顔は、嬉しそうだったんだ。
単純な考えしか私には出来ないけれど、夜が好きならきっと、夜が持っているこんな表情だって、サーニャは好きなんじゃないかな。そうなのか、なんて、聞けはしないけれど。
タロットで流れ星の予測はできたりするんだろうか。そんな細かいことは占えないんだけど、わかったならいいのにな。そしたらサーニャが好きなもの、ひとつ、見せてあげられるのに。



「ねえ、エイラ、願い事、ある?」

「へ?」

「願い事。お星様に願い事をしたら、叶うって話があるでしょう?」


見るとサーニャは空を見たままそんなことを呟いていた、いつも以上にひどく静かで、囁くような声だったけれど、私に向かって話しかけたらしい、やっぱり。なんてったってここには星と私とサーニャしかいないのだ。
願い事、願い事か、と思って私もまた星が降り続ける空を見た、そうか、流れ星に願い事。聞いたことがある。詳しいことは良くわからないけれど。ほんとだったら、素敵ね。サーニャが隣で微かに笑う。
こんなにいっぱい流れてたら、いくつも叶えて貰えるんだろうか。そんな大サービスはないにしても、ちょっとくらい確率は上がりそうだ。なるほど、よし。


「よーし……」

「ん……エイラ?」


サーニャは突然立ち上がった私を不思議そうに見上げていた、でもその顔を見ると、多分、というか絶対、私は色々飲み込んでしまうので、見ない。こういう時は勢いが大事だって、ミヤフジも言ってた気がする。
エイラさんは、勇気っていうか、もっとこう、勢いがないとダメだと思います! だってさ。それ、リーネとまともに向かい合ってるときのお前にも、言ってやれよ。
そんなことを思いながら、勢い良く立ち上がった私はそのまま両手を口元に当ててメガホンを形成、息を吸って、お腹いっぱい叫んだ。


「サーニャの両親が、見つかりますようにー!!」

「えっ……え、え、エイラ?」

「サーニャが戦いで、傷ついたりしませんようにー!!」

「エイラ、ねえ……」

「えーっと、えーっと、あと、そうだ、サーニャが楽しくピアノ弾ける日が、音楽学べる日が、きますようにー!!」


あれ、結局いくつもお願いしてるや、なんてことはどうでもよくって、私は願い事をたくさんたくさん口にした。
一つだけ叶うって言うなら、いくつでも叶いますようにって最初にお願いしておこうじゃないか。心の中でそれも追加、私はさらに叫ぶ。心の中に抱えてること。全部一気には、解決しそうに無いこと。
でも、諦めたくないこと。叶ってほしいこと、叶えたいこと、私がしたいこと、無理だって言いたくないこと。ミヤフジのおかげで気付けたことも、一応含めとこうか。
サーニャが横からなにやら恥ずかしそうな声で言っているのが聞こえるけど、うん、いや、聞こえてます、そして私の声はしぼみつつあります、あ、うん、そろそろ無理、かも。えっと、じゃあ、最後に。



「あとっ……あと、あとサーニャがいっぱい、いっぱい笑顔でいられますようにーっ!!」




その直後にした私の行動の奇妙さといったら無くて、胸が苦しくてもう叫べなくなったのに、そのまま後ろに倒れこむように泉へと身を投げたのだ。





因みに背中から入ると往々にして鼻にがんがん水が入るわけなんだが、問題なのはそこじゃなくて、また次の瞬間には、隣に同じような水流が生まれたって事。
慌てて水の中で立ち上がり隣を確認すると、俯いたまま仄かに頬を染めたサーニャが、非常に物申したげな目線で私を見上げてきていた。上目遣いとか反則です。ミーナ中佐にも罰せない反則です。
大体関係が無いことを考えるのは現実逃避の証拠であり、逃避している場合じゃないのが現在の私であり。まとめて言うとそろそろこの早鐘どころか鐘を打ち壊さんばかりの心臓が痛い。
さっきまでの「願い事」を叫ぶ事だってそうだけど、今こんな、ああ、もう、白状します、可愛いです、可愛い顔したサーニャに見上げられると私はだいぶおかしくなるのだ。
だがしかし問題は依然として大問題のままである、というか状況は悪化している、サーニャは頬を染めたまま、なんだか拗ねたような表情をする。
そうして、一度何かことばを捜すように小さく口を開いて、だけどやめて、サーニャはまるで溜息のように言った。


「エイラ……私は、エイラの願い事を聞いたのよ」

「えっ? い、いや、だから……さ、さっきまでのが、私の願い事だぞ?」

「……ぜんぶ、私のことじゃない」


そうじゃなくて。サーニャは続けた。頭の上で、まだ星はいくつもいくつも流れていた。
言いながらすっかり俯いてしまった水面を映すサーニャの目には、しかし静かに揺らめくいつもの光があって。


「こんなときくらい、エイラは、エイラの欲しいものとか、したいことを、願っていいのに」

「……サーニャ」

「ううん、私だって、エイラにそうして欲しいのに……エイラの願い事が、叶ってほしいのに」

「あー……そういうことだよ?」


思わず零れたのはそんな言葉で、サーニャはえ、というように顔を上げた。こういうとき私どうしたらいいんだよ、という問いには、なあに、勢いでいいさ、と陽気な声が答える。
はは、シャーリーだったら、そんなことも言いそうだな。いっつも陽気で前向きなあいつなら。底抜けに優しいあいつなら。私は手を伸ばして、サーニャの頭に、ぽんと乗せた。
私は酷く酷く臆病で、きっとそれと同じように、私の言葉も臆病だから。もしかしたら、届く前にしぼんでしまうかもしれないから。だから、なんとも言えない事は、手のひらから伝わるといいなって。
そうはいっても私たちはテレパシーの魔法なんて使えないわけで、口に出すことは、ちゃんとしなきゃいけないんだけど。これは、ね、おまじないみたいなものだ。
呪術好きな私らしいだろ、なんて、やけにたくさん言い訳を重ねてしまうのは、手を引っ込めてしまいそうな自分を叱咤激励するためだ。ああもう、勇気出せよ、ばーか。ばかっていうな、ばーか!
ああ、いや、そうじゃなくてさ。


「サーニャがさ、私にそう思ってくれてるみたいに……私も、サーニャの願い事が叶ってほしいんだよ」


「…………」

「で、サーニャが笑ってるのが見たい、とか、サーニャがしあわせなのが見たい、とか……ほ、ほら! こうやって言ったら、ちゃんと私の欲だろ!?」

「……エイラ」



「だから、これが私の願い事!」


するとサーニャは、少しだけ考えるような間をもって、それから、頭の上にあった私の手を取った。うえう、みたいな、そんな変な声が漏れる。くすり、サーニャが笑う。
それは、なんだか呻くような声を上げた私を笑って浮かべたのか、それとも。




「……いいわ、わかった。それなら、私がエイラの願い事を、お願いするから」


もっと温かい、何かだったのか。





基地に戻ってから、サーニャがピアノを弾いてくれた。
いつもよりもなぜかずっと弾んだ顔だったから、音の粒もまるで跳ね回るように、ぽんぽんと部屋の中に響いた。私も良く知っている曲、というか、有名なマザー・グース。
モーツァルトが作ったピアのための変奏曲なのよ、と零れそうな笑顔を浮かべたサーニャは、その細い指先でステップを踏むように、きらきらと音を奏でる。
その内にサーニャはとても綺麗な、やさしい声で歌い始めた。可愛らしい旋律に混じって、サーニャの歌がそっと響く。
なあサーニャ、あとで聞いたらさ、ミヤフジの国だと、「みんなの歌が届くといいな」なんて歌詞になるんだって。
サーニャの歌はきっと、星まで届いてるよな。そしたら、私の願い事も、サーニャの願い事も、届いてるかな。

そんなことを考えながら私は、椅子に腰掛けたまま静かに目を閉じた。
目蓋の裏に夜空が広がって、さっきまで見ていた星が、また見えるような気がした。流れる、流れる、きらきらとした粒。
ああ、そうだ、これは、サーニャの奏でる音だ。ほしのおとだ。

そうだ、あとひとつだけ、願い事。
これはほんとに、私の、私ばっかりの、願い事。



「サーニャのとなりに、いられますように。」




願わくば、私の願い事が叶って、幸せに笑うサーニャを、見ていられますように。




 

inserted by FC2 system