「むだい」




最初に繋いだのはいつだったか、私は覚えてる。

手のひらから伝わることもあるんだって、教えてもらったことがあったんだ。だから、私にもそれが、できないかなって思ってさ。
その時私の言葉は酷くひどく無力で、いつも俯いていたお前の耳に届いていたかどうかすら、わからなかったから。
だってお前は私が何を言っても、こわれてしまいそうな顔にいっしょうけんめいゆがんだ微笑を浮かべては、ごめんなさいって言うだけだった。
重く重く閉ざされた扉があったのは部屋だけじゃなくて、きっとそうだ、お前のかおにも、みみにも、こころにも、その重い重い扉は、あったんだ。
だからどんなに叫んだって私の言葉なんかはお前に届きやしなくて、それが導き出すのはいつだって、こわれてしまいそうな、ひっしの、さけびのような、謝罪だけで。

それで私は、お前の手を、取ったんだ。

「……なん、ですか?」
「えっ、あ、いや」

応える言葉が見つからなかったのは、それからどうしたらいいかわからなかったのも、確かにあったけど。
それ以上に私は、リーネの手に触れた瞬間に、頭の中がすっとまっしろになっていくのだけを感じて、ことばなんて、伝えたいことなんて、すっかりどっかにいってしまった。
待てよ、か何か声を掛けたっけ、それは覚えてない、たぶん今その記憶落っことしたんだと思う、でもとにかくいつもみたく謝って去ろうとしたリーネの手を、私は取って。
取って、それから。

それが、あまりにもつめたくて、つめたくて。


私は、つまりだ、一体なんて伝えたらいいか、わからなくなったんだ。
この手のひらから何かを伝えたいって、一体何を。こんなに、ふるえてしまいそうなほどつめたい手をしたやつに、私は一体、何が言えるのか、なんて。
それは、そのしんじつは、絶望と言うにはあまりにも静かに、静かに、音もなく、私のゆびさきから足の先まで、じんわりと、染み渡った。


――そのくらい、そうだ、リーネの手は、すごく、つめたかった。



「あの、エイラさん、わたし……」
「へっ?」
「えっと……わたし、そろそろ、ご飯の準備が」
「あっ、あ、ああ、そっか、そっかそっか、うん」

引き止めてごめんな、か何か、私は言っただろうか。あいつは、リーネはまた、謝っただろうか。そこからは良く、覚えてないんだ。
でもそう、はっきりと覚えてる。私のゆびさきから、てのひらから、伝わってきたあの温度。つめたくてつめたくて、どうしようもないくらいだった、あの、温度。


なにかしてやりたいっていうのは、私だけが勝手にもっていた傲慢な考えだったんだろうか。例えそうであったとして、私は、でも、でもさ、何か、したかったんだよ。
謝るなって、違うんだ、私が見たいのはそんな顔じゃなくて、そんないっしょうけんめいうかべた笑顔なんかじゃなくて。聞きたいのも、謝罪なんかじゃ、なくてさ。
例えばさ、お前、ここにくる前は学校に居たんだろ。友達もきっと居たはずだ、そこでお前は、おまえはさ、しあわせだったんじゃ、ないのか。
だのにそこを飛び出して、ブリタニアを守りたいってその一心でこんなところまでやってきてさ、そんな、そんな頑張ってるお前、なんでいつも、壊れそうな顔、してるんだよ。

もしかすると私はあいつとただの友達のようになってみたくて、ただ無邪気に、何の心配もなく楽しそうに笑っているあいつが見てみたくて、ばかみたいに必死だったのかもしれない。
わからない、あのときの私は、重く閉ざされてるあいつに向かって叫ぶことで精一杯で、それから、手を伸ばすだけでもう、いっぱいいっぱいだった。

それから私は、リーネの、あの私よりいくぶん健康的な色をしている指先の、ふくりとした感触を思い出すたび、そのおそろしいほどの冷たさを思い出しては、少しだけ、くるしくなるのだ。



最初に繋いだのはいつだったか、私は覚えてる。


「サンドイッチ教えろってぇ? こんな時間にかよ?」
「う、ご、ごめんなさい……でもでも、このくらいにならないと……」
「ミヤフジにわかっちゃうから、って言うんだろ」
「そう芳佳ちゃんが……って、え!? な、なんでわかったんですか!? あ、もしかして占い……」
「あのなぁ、私今全然タロットカード持ってなかっただろ! あんだけ隣で賑やかに話してたら、わかるっての」

リーネが頼みごとを抱えてやってきたのはサーニャが夜間哨戒に出かけた後であって、多分こいつのことだから、ちゃんとそのタイミングを見計らっていたんだろう。
そんな時間に、自分だって遅くまで起きてるのは苦手なくせに、一生懸命目を擦りながら、リーネは私の部屋の扉を叩きに来た。
原因は別に予想しようとしなくたってわかる。食堂ではしゃいでたのなんて皆知ってるぞ。明日は休みだから、二人でどっか出かけようってんだろ。
で、リーネはミヤフジのためにお昼を作ってやろうとしてる、と。ほら、考えなくたってそんなのわかる。もう殆ど決定事項みたいなものなんだ。読めるんだよ、お前の行動なんて。
一体――いったいどれくらい前から、私が、お前を見てやってると、思ってんだよ。それは言わずに、サンドイッチくらい自分で作れるだろ、と返す。

「んっと、そうなんですけど……ほら、いつかエイラさんが作ってくれたこと、あったじゃないですか」
「ああ、まあ……それしかできないのかってペリーヌあたりにはさんざ文句言われたけどな」
「……そうでしたね。えっと、でもわたし、エイラさんのサンドイッチ、凄く好きなんですよ!」

私が驚いて返す言葉もないことを、きっとリーネは気がついていないのだろう。とっても美味しかったんです、あれ。リーネはにこにこしながら言う。
たいしたものでもないし、言ってみればミヤフジの扶桑料理とか、自分が作るブリタニアのお菓子なんかの方がずっとずっと美味しいのに、リーネはまぶしいくらい笑顔だった。
ほっぺたが、ちょこっとだけ赤かった。

「あのとき芳佳ちゃん、ちょうど買出しで、居なかったじゃないですか。その、だから……食べさせて、あげたくて

ああ、こんな顔で笑うんだな、とどこかでほっとして、どこかてずきりとしたのは、もう前のことになってしまった。ミヤフジがうちの部隊に来てだいぶ経って、二人は、仲良しで。
そうリーネは、あいつが来てから良く笑うようになった。顔を下げないようになった。無駄に謝らないようになった。たまに、ミーナ中佐もびっくりするくらい、強い所を見せるようになった。
あの時持っていなかったものを、多分今は、持っていた。

「……ああ、もう、わかったよ。しょうがないな」
「えっ……ほ、ほんとですか!! わ、ありがとうございますっ!!」


言って、リーネは、まるでなんでもないことのように、手を伸ばして。


「じゃあ、行きましょう、エイラさん!」


あ、と声が出なかったのは、私が一生懸命飲み込んだからだ。そうでなかったら、きっと足だって止まっていたに、違いなくて。
リーネはまるでなんでもないことのように私の手をとった、まだ覚えてる、やわらかな指先が、そっと、或いは少しだけつよく、私の手を握る。その手は。その、ては。


――とても、とても、あたたかかった、のだ。


「……リーネ」
「まずは材料を……あっ、はい?」


「よかった、なぁ」


最初に繋いだのはいつだったか、私は覚えてる。


おまえは、きっと、覚えてない。

 

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