「がんばらない」



小さい吐息のようなものが聞こえた。それがミーナ中佐の唇から漏れたものだと、しかしこの場に居る全員は気付いたんだろう。あたしにもわかった。
なぜなら現在ミーティングルームの中は耳が痛いくらいの沈黙に包まれていて、そんな中に零れた小さな音だったから、誰の耳にだって真っ直ぐ届いたんだ。
それが、ミーナ中佐が決定を申し渡す前兆であることは、別に付き合いが長いカールスラント組でなくても、また軍人として長い坂本少佐でなくてもわかるらしい。
まだまだ駆け出しのひよっこ戦士であるはずの宮藤やリーネですら、息を呑んで中佐の言葉を待っていた。そんな中で凛と響いた、中佐の、決定は。


「そうね……シャーリーさん。やはりあなたにお願いするしか、なさそうね」

「オーケイ、了解した。」

「詳しい作戦は追って伝えます。解散!」


あたしの答えをちゃんと聞いて、神妙な顔で頷いた中佐は、いつもよりも少しだけ厳しい声で号令をかけると、少佐を従えて部屋を出て行った。
多分今から執務室あたりで詳しい作戦が決まるんだろう。今日の昼辺りには、詳しいことが全員に告げられるのかもしれないな。仕事の早い中佐のことだし。




おっそろしく速いネウロイが出た、っていう話をサーニャが持ち帰ってきたのは、今朝の話だ。
色々難しい話はさておけば、攻撃してくるのは主に通常の速度である子機なのだけれど、コアがあるらしい本体の速度が尋常じゃない、らしい。
夜間シフト組がえらく切羽詰った顔をしていたのと、今朝からエイラの姿がちっとも見えないところから、話を持ち帰る段階で既にサーニャは危険な目に遭ったのかもしれない。
あれで夜間哨戒の腕に関しては右に出るものが居らず、火力だって高いはずのサーニャが大苦戦する相手、ってことだ。無論朝からすぐに、全員を集めた緊急会議が開かれた。
主な議題は、一体誰がコアを叩くかってこと。サーニャの使っているストライカーであるところのMiGは優れた高速性を持っているし、サーニャの機動力は高い方だ。
つまりネウロイの動きはそれを越えるスピードを持っていたってことで、自然とその報告を聞いた隊員の顔も、重苦しい感じになってしまったわけなのだが。


「ふむ……やはりスピードといったら、お前に頼むのが常套だろうな、シャーリー」

「お、わかってますねえ、少佐。なあ中佐、あたしがその役、買って出るよ」


もちろんスピードの話といったらあたしの専売特許だ、坂本少佐に促される前から意志は固まっていた。先回りしてくれたってことは、少佐もあたしの速さを認めてくれてるんだろう。
だとしたらこんな会議で頭を悩ませる必要なんてそもそもなかったんじゃないか、とさえ思えてしまうお気楽リベリアンであるあたしは、中佐にそう進言したのだが。


「危険な任務よ?」


厳しい顔でたった一言そう問われて、冒頭の痛いくらいの沈黙は、この辺りから形作られてきたといっていい。
ミーナ中佐が言うには、コアを叩く役を仮にあたしに任せたとして、超スピードの世界であたしの援護をできることは、まずないと言っていいそうだ。
通常速度であるという子機を周りで叩くくらいはできるかもしれないが、コアのある本体相手は、攻撃にしろ防御にしろあたしの単機任せになる、ってこと。
まあ、言ってみれば、一人でなんとかするしかないんだぞ、って話さ。


けれどあたし以外にやれるやつも思いつかないし、そもそもとして危険に身を投げるくらいのことは、いつもだってやってきてるわけだし、結局中佐だってあたしに命令を下した。
だってあたしたちはこの基地に遊びに来たんじゃないんだ、そんなことくらいは一番幼いルッキーニだってちゃんと知っている。あたしたちは、ネウロイを倒しに来たんだ。



で、さて、それならあたしは作戦に向けて早速ストライカーの調子でも見てくるかね、と思って、立ち上がろうとしたその瞬間だった。


「シャーリーっ!!」

「うわっ、と!? どうしたルッキーニ、突然飛び掛ってきたら危ないだろ」

「ん……でもでも、だってね、あたしね……あたし……」

「どうしたんだ、ほら、黙ってちゃわからないぞ?」


「えっと……えっと、そう、ファイトだー、シャーリー!!」


おお、ちょっと耳が痛くなるくらいの声量、だけどルッキーニらしい、まっすぐまっすぐあたしを応援する言葉だ。
一度口にしてしまえば後は引っ張られるがままに、だったのか、なんとか一言搾り出したルッキーニは、その後マシンガンみたいに続けた。
こっちが笑ってしまうくらいに必死な顔つきで、身振り手振り交えて、一生懸命。


「一番速いのシャーリーなんだから、ネウロイなんかに負けないんだから、すばしっこいネウロイなんてね、じゅばーってやってしゅごーでどかーんだよ!!」

「うん、そうだな、どかーんだ。見ててくれよ、必ずやっつけるからさ!」


一緒にどかーんと言って、ひとしきり笑ってから、とりあえずルッキーニを抱きしめてやる。緑がかったツインテールがふわりと揺れる。お前は、素直でいい子だよ、ほんと。
言うだけ言ったら満足したのか、あたしの胸にほっぺをくっつけてからにかっと笑ったルッキーニは、元気よく駆けて行った。昼寝でもしに行ったかな。
なんせ今日は朝からルッキーニの大嫌いな会議だったんだ、これから朝失った分の英気――ってほどのものかは知らないが――を養いに行くのかもしれない。
細い褐色の手足をいっぱいに振り回して走っていくルッキーニの背中を暫く見送ってから、工具を取りに、あたしは部屋へと戻った。



で、今度はその道中に、なんだかきょろきょろとせわしなく辺りを見回している豆狸を見かけた。おっと、あいつの使い魔は豆柴だったっけか。
そんな、納豆よろしく豆に好かれている宮藤は、こっちを振り返った瞬間にあたしに気が付いたらしく、元気良く手を振ってきた。いつも年少組は元気だねえ、しかし。


「あっ、シャーリーさん!」

「ん? おお、宮藤じゃないか。どうした?」

「えっと、これからリーネちゃんに話しにいこうとしてたとこだったんですけど……今日のお昼、ハンバーガーとフライドポテトにしようと思って」

「へえ! そいつはいいや、楽しみになってきたな! しかしそんないきなりのメニュー変更、大丈夫なのかい?」

「とりあえずミーナ中佐には許可を取りました。その、私がシャーリーさんに出来ること、何かないかなって思って」


そろそろ宮藤の常套句になってきたわたしにできること、を、どうもあたしにも当てはめてくれたらしい宮藤は、それでこのメニューなんです、と続けた。
なるほどこいつらしい方法だ、でも以前ほど無理なことを言い出さなくなったのは、ある意味成長の証みたいなものなのかな。
それとも自分も一緒に飛び込みます系統のことを言って一度中佐を困らせた上での妥協案か。有り得るかもしれない。あまり疲れた年長組を困らせないでくれよ、なんてな。
しかし宮藤の気持ちは素直に嬉しかったし、なんだかんだ言って故郷の味が宮藤とリーネの腕で再現されるのはあたしとしては大歓迎だ。


「そっかそっか、じゃあ、楽しみにしてるよ」

「はいっ、食べて元気出してくださいね!」

「オーケイ、任せとけ!」


握りこぶしで答えつつ宮藤の頭をわしわし撫でてやっていると、部屋の前で響く賑やかな声でご機嫌を損ねでもしたのか、ペリーヌが部屋からにゅっと顔を出した。
するとちょっとうるさいですわよ、まで言いかけたのをなぜかやめて、はたと気が付いたようにあたしを見る。


「なんだペリーヌ、あたしの顔になんかついてるか?」

「……いえ、その」


あたしがそう言ううちにペリーヌの視線はあたしの顔からすぐにふらふらと彷徨ってしまって、ついには俯いた眼鏡の向こうからはあまり感情が読み取れない。
なにやら言いたそうだ、っていうのはわかるんだけどね、ペリーヌときたら先に会った誰よりも、ていうか隊で一番素直じゃないだろうからな。
だけど、このままここで突っ立ってるのも気が引けるし、そろそろおいとましようかとあたしが口を開いた瞬間に、ペリーヌはふっと言った。


「わ、わたくしは! その、スピードに関してはですけど、あなたに一目置いているといえますわ」

「ん? お、おお、そりゃどうも」

「だから……つまり……その」

「あっ、つまりペリーヌさんもがんばれってシャーリーさんに言いたいんですよね! なぁんだ、だったらわかりにくい言い方しないでいいのにぃ」

「………。」


こらこら、扶桑の魔女。なんて、そんな言葉をついついミーナ中佐よろしく思い浮かべてしまった。
そら、怒るぞ怒るぞ、さん、にい、いち。


「あっ……あなたは、いつもいつもどうしてそうなんですの宮藤さん!? 大体、ひっ、ひとが必死にですね……!」

「えー!? シャーリーさん、なんで私怒られてるんですか!?」

「……まあ、なんだ、今日は怒られとけ、宮藤」


そいでもって、あたしは二人の気持ちを受け取って、満を持してストライカーの調整をしてくるさ。
なんだかんだ背中でぎゃーすか言ってるのが聞こえるけど、それも苦笑交じりに笑い飛ばせるくらいに、あたしは気分が良かった。
別に軍人としてどうこうを抜きにしたって、下からの期待は誇らしく思えたりするものだ。頼るのが下の特権なら、かっこつけるのが上の特権ってことで。


でも、あたしの気分が上々だったのは、実はここまでの話だった。




「おお、なんか今日は良く人に会うな……よ、バルクホルン」

「……リベリアンか」


工具を取ってハンガーに向かったあたしは、なぜかハンガー入り口で腕組みをして両目を閉じているようなバルクホルンと鉢合わせた。
最初に思ったのは、なんだこいつ、ってこと。普段から愛想の欠片もないようなヤツではあったが、ここまでじゃなかった、よなあ。てことは、不機嫌なのか。
別にそこまで順序だてて考えなくたって、これでもバルクホルンを怒らせたことならハルトマンとそこそこ張り合えるくらいであるあたしには、こいつの不機嫌な声くらいわかった。
相変わらず他人行儀な呼び名を口にしたバルクホルンは、しかしそれっきり何を言うでもなく黙ってまた目を閉じてしまう。なんなんだ、こいつ。
軍人として無駄な行動を決してとることのないこいつが何もせずにハンガーなんかに居るなんて、それ自体が珍しいようなものなんだが。

けれど考えを巡らせたってバルクホルンが沈黙を破ることはなかったので、結局折れたあたしは、そいつの横をすり抜けて、早速整備に取り掛かった。




がちゃがちゃと金属の音だけが響き始めてから、どれくらい経った頃だったろうか。なにせ機械を弄ってると時計も何も目に入らなくなるから、正確なところはわからないが。
わからないのだが、さすがにそれなりの時間が経ったとあたしも体感していたそのときに、突然、温度のある声がハンガーの中にふっと響いた。


「作戦はあの方向で決まるんだな」

「うぇっ!?」


声はバルクホルンのものだった。やたら仰天してしまったのは完全に不意をつかれたからで、だってさすがにそんな長い時間、無言で突っ立っているとは思わなかったから。
なんだよお前まだ居たのか、なんてのを慌てて飲み込んで、ちょっと機能してなかった耳から入った情報をなんとか頭の中で整理する。ええと、作戦、ああ、あれか。


「そうだな。まあ見てなって、あたしのスピードの限界を見せてやるよ」

「……音速超えで機体を大破させるなどという落ちはごめんだぞ」

「いやだな、さすがに学んだって。っていうか、あれはルッキーニの整備だったじゃないか」

「ふん……実戦で無理な飛び方をしないとも限らんだろう、お前の場合。なにせスピード狂の、リベリアンだ」


そのときバルクホルンが言ったリベリアン、って言葉はどこか刺々しい響きを持っていた、多分それは、こいつのステレオタイプ入り交じった発言であったのだろう。
いつもそれがぶつかりあいの種になっている、こいつの気に入らないリベリアンらしい奔放さだとか、自由さだとか。それに対して、苦言を呈するかのように。
整備に集中していたこともあって、多少は聞き流していたあたしであったけれども、そろそろ眉根に力が入ってきたので、手を止めた。

「おいおい、さすがに実戦ではあたしだってストライカーのことくらい頭に入れてるぞ」

「なら言い返させてもらうが、そうスピードに特化した改造を施したところで、隊全体の役に立つとは言いがたいぞ。寧ろ隊列の崩れる原因になる」

「それにしたって、今回は速度重視の整備を施すべきだろう? なんてったって作戦の要はあたしのスピードだ」

「作戦のことなど理解している……中心であるお前よりもな、リベリアン。お前は少し、頭を働かせてから空を飛ぶことを覚えろ」


「……あーもう、何が言いたいんだよお前は!」


前言撤回、隊で一番素直じゃないのはペリーヌじゃなくってこの大尉どのだ。まあ思わず声を荒げたのは悪いと思うけどさ。
整備疲れの頭にこんだけ小言ばっかり降らせて貰っちゃあ、さすがの胸に比例して心が広いあたしだって、イラッともするよ。

それに、それにだよ、これは言わないけど、そして自分の中でだってちゃんとした気持ちとして受け取ったりなんかしたくないけどさ、なんだか。
でもさ、そう、ルッキーニだって宮藤だってペリーヌだって、あたしに任せてくれた少佐だって中佐だって、あたしのこと、応援してくれたのに。


なんで、おまえだけ。あたしは、あたしはさ、ほんとは、いちばんおまえから。


「大体なあ、お前、これから単機決戦に挑もうって言う同僚に、士気を失わせる言葉ばっか吐くってのは、軍人としてどうなんだ、ええ、カールスラント軍人どの」

「……どういう意味だ」

「普通こういう任務に向かう同僚が居るってんなら、ガンバレって声の一つも掛けてやるのが普通だろうが!」


「っ、私はお前に『頑張れ』などと、絶対に言ってやるものか!!」


直後、さっきのミーティングルームでのそれなんて非じゃないくらいの沈黙が、あたしとバルクホルンの間を飛び交って、あたしたち二人を突き刺した。
バルクホルンの上げた声の残響がハンガーの壁に跳ね返って、それも痛い。もうなにもかもがいたい。エンジンオイル臭いここがあたしは好きなのに、今すぐ逃げ出したい。
なんで、そんなおおきな、声。だってお前、さっきまで、苦々しいみたいな静かな声で、煮え切らないことばっか、言ってたくせに。
だけど、一番驚いているのも、一番バルクホルンの言葉にはっとしているのもあたしであって然るべきなのに、なぜか目の前のバルクホルンの方が、あたしよりずっと、震えてて。

あたしよりもずっとずっと、この場から消えていきそうで。


「あ……っ、おい、待てよ、バルクホルン!!」


そうしてそれは数秒もしないうちに現実のものとなってしまったのだ、後に残されたのは、悪態をついてるあたしと、整備途中のストライカーと、冷たい沈黙と、それだけで。





それっきり作戦の詳細が告げられても、あたしとバルクホルンがまともに会話をすることなんてなかった。
もちろんあたしの機嫌が悪いのとバルクホルン大尉どのがぴりぴりしているのは隊全体にだって雰囲気として伝わるわけで、おかげでせっかくの昼食が台無しだった。
せっかく宮藤とリーネが作ってくれたってのに、こんなむかっ腹のままで口にしたって、美味しさの半分も感じられない。ああもう、それもこれもあいつのせいだ。
そう思って見やると、なぜか同じくむかむかが収まらないってような顔のまんまでバルクホルンは黙々とポテトを齧っていて、それが余計に腹が立った。
お前なんてハルトマンにポテト全部奪われちまえ、なんて思ってはみるが、なぜかこんなときだけ便りのハルトマンは妙に大人しくて、気晴らしにも付き合ってくれない。
しかも食べ終わるや否や、リーネに料理の感想か何かでも言いに行ったハルトマンは、そのまま真っ直ぐ部屋へと戻っていっちまいやがる。ほんと自由人だよな。

そんなぎっすぎっすの昼食は胃に入った気もしなくて、出撃まであとちょっとってとこなのに妙に落ち着かない気分だった。
嫌だな、今から結構重要な任務だってのに。まったくバルクホルンときたら、これであたしが撃墜でもされたら、ちょっとは反省してくれるんだろうか。
だって、頑張れなんて言ってやるもんか、だなんて。そんなの軍人として有り得る台詞なのかい、まったく。応援するのが、仲間ってものだろうが。
普段はガチガチの軍人馬鹿の癖に、こんなときは寧ろ宮藤やルッキーニ、ペリーヌのほうがよっぽど軍人らしいってもんだ。ああもう、頭にくる!


「えっ、ご、ごめんなさい、お邪魔でしたよねっ……!?」

「うわっ!? り、リーネ!! ああ、あたし、何か口に出してたか……気にしないでくれ、独り言だから」

「ひとりごと……は、はあ」


――なんて言って、たかだかバルクホルンの一言っきりでここまで調子狂わしてるあたしも、軍人らしくなんて全然ないか。


心配そうに見上げてくるリーネの青い瞳で、少々気が落ち着いたあたしは、何か話しに来てくれたらしいリーネを歓迎の笑顔で迎えることで、どうにか自分を保っていた。
とりあえず、ここで部隊の緩衝材みたいなリーネと話が出来たのは、幸運といっていいのかもしれない。恥ずかしがり屋のネウロイ! なんてな。
廊下の壁に寄りかかっていたあたしの隣までおずおずとやってきたリーネは、そのときみたいになんとか言葉を搾り出そうと一生懸命な表情だった。悪いな、心配かけて。
これだとつまり、あたしも年下に色々追い抜かれてるってことになるんだけど、まあ、その辺は今は目を瞑るとしよう。ごめんな。

でもこのままあたしが黙っているとリーネがあんまり可哀想な気もするので、ちょっと情けないながら、自分から口を割ることにした。


「いやあ……いつもどおりのことだけど、バルクホルンとやりあっちゃってさ」

「あ、バルクホルン大尉と、ですか……そうですね、その、いつも以上に怖かったです、大尉……」

「悪かったな、怖がらせて。でもさあ、あれはあっちの方が悪いと思うんだよ、あたしは……っていうかリーネ、お前、なんか時間、気にしてるのか?」

「えっ!? な、なんでですか!?」

「いや、なんかキッチンタイマーずっと持ってるなって思って」

「な、な、なんでもないです、これは、その、そう、茹で時間! ば、晩御飯の下ごしらえをしてるんです!」

「あ、そうなのか? だったらあたしの与太話なんて聞いてる暇ないか……」

「いえ大丈夫です、話してくださいシャーリーさんっ!!」

「お、おお……なんだ、なんか凄い迫力だな、リーネ」


まあ、肝心なときには強情なとこもある、と宮藤が語っていたらしいリーネであるけれど、さすがに普段の引っ込み思案からだと、少々驚くものがある。
けれど、キッチンタイマー片手にじいっとこっちを見てくるリーネの瞳は、やっぱり優しかったりするから。
とりあえずあたしは、お日様みたいな色をしている頭をぽんぽんと撫でてみてから、それがさあ、なんて愚痴を、やさしいこいつに聞いてもらうことにしたのだった。



「ええ、と……バルクホルン大尉、そんなこと言ったんですか」

「そうなんだよ、酷いと思わないか?」

「確かにちょっと冷たいです、けど……うーん……」


ひとしきり話し終わった後であたしがぼやくと、一度キッチンタイマーで残り時間でも確認したらしいリーネは、ちょっと考え込むように人差し指を顎に当てた。
それが考え込むときのリーネちゃんの癖なんですよね、可愛いと思いませんか、可愛いですよね、と頭の中で宮藤が増殖していく。相談役も考えものかもしれない。
で、惚気ならエイラにしてくれって今度言うかな、なんてことを思いつつ、頭の中四匹目の宮藤が出現したくらいだったろうか、リーネが口を開いたのは。


「……わたし、バルクホルン大尉って、凄く苦手でした」

「ああ、まあ……だろうな」

「わたしも役立たずだったし、いつも怒られてばっかりだったから……最初は大尉のこと、怖くて怖くて」


でも、と、リーネは言う。


「でも……最近、まだちょっとだけなんですけど、大尉って優しい人なんだな、って思う部分が増えて」

「優しい? あいつが?」

「はい。あの、最初は芳佳ちゃんの受け売りなんですけど……」


宮藤が来た当初、あいつのぶっきらぼうさっていったらなかった。そりゃあの時は、妹のことでだいぶ追い詰められていたみたいだった、というのもあったろうが。
まだ軍にも入りたて、ウィッチとして空を飛んだ経験すら殆どなかったような宮藤に向かって、役立たずは帰れ、なんてことを冷たく何度も言い放ったらしい。
宮藤自身もそれにだいぶ参っていたというか、落ち込んでいた時期もあった、と聞いていたけれど。リーネが言うには、後から宮藤が、少し違う話をしたそうだ。


「あれは……結局、芳佳ちゃんのことを凄く心配してくれた言葉なんじゃ、ないかなって」

「……へえ?」

「確かに、訓練不十分で戦場に立つなんて、凄く危ないことだから。バルクホルンさんはそれをさせたくなかったんじゃない
かなって」

「そう、宮藤が言ってたのか……ふうん、それにしても、随分とわかりにくい思いやりっていうかなぁ」

「はい、だからわたしも、なかなかわからなかったりしたんですけど……」

「だよなあ。どうも回りくどいっていうか……」

「でも、バルクホルン大尉は、真面目な軍人だし、一番そう在ろうと頑張っている人ですから……だから、真っ直ぐの優しさを向けるのって」


難しいんじゃ、ないですかね。

およそそんなことを言ったらしいリーネの言葉は、しかしけたたましいアラーム音で掻き消されてしまった。震源地は、リーネの片手。つまり、キッチンタイマーだ。
あれ音切ってたのに、と大慌てで、なんだかんだタイマーを取り落としてしまったリーネを落ち着かせて、ひとまず音を止めたあたしだが。
頭の端っこでは、さっきまでの会話が少し引っかかっていた。軍人らしくしようとするから、言えない事。それは頑張れっていうのとは、また違うんだろうか。
そりゃああたしだってあいつが根っからの悪人だなんてちっとも思ってないけど、さすがに隠れた真意を読み取れるほど、頭がいいわけでもない。
帰った後にでもエイラに占ってもらうとしようかなあ。


「っと、それよりリーネ、鍋、いいのか?」

「えっ、鍋……? あ!! そ、そうでした、シャーリーさん、こっちです!!」

「わ、あ、え!? 待て待て待て、あたしか!? あたし食事当番じゃなかったよな!?」


え、いや、おかしいな、どうしてあたしは今、リーネに手を引っ張られて走り出してるんだっけ。


しかもリーネときたら、茹で時間を計るためにキッチンタイマーを持っていたとのたまっていたくせに、足はなぜかキッチンとは違う方向へと向いている。
まさか突然鳴ったタイマーにここまで混乱してるんだろうか、そりゃさすがにちょっと焦りすぎだ。そんなときでも鈍足なのは変わらないけど。
だがリーネの足はちっとも止まらずキッチンとは間逆の方向へとてとてとあたしを引っ張っていってしまって、気が付いたら、それぞれの部屋がある廊下まで、来ていて。
その途端に突然リーネが足を止めたから、思わず追い越しかけたあたしは、危うく衝突するところだった。


「おいおい、リーネ、なん……」


「だからっ、お前は何が言いたいんだ、ハルトマン!!」

「えー、べっつにぃ。ただ、トゥルーデらしくないなぁ、と思ってさー」


何か言おうとしたあたしの言葉を、そのまままるっと飲み込ませたのは、そんな二つの声。廊下の角を曲がった、その先から聞こえてくる二つ。
リーネはちょうど角のところで立ち止まっていて、まるであたしをその先へ行かせまいとしているかのように、あたしの身体を片手でとん、と押さえている。
だけどそんなことされなくたってあたしの足は、いつものような軽やかさなんて嘘みたいに、石のように重たくなっていたのだ。


ああ、この耳に痛い怒鳴り声ときたら、考えなくったってバルクホルンの声だな、なんて、思ってしまったから。


「シャーリーも言ってたと思うけど、普通は応援してあげるでしょ。単機の危なさなんて、トゥルーデだって良く知ってるはずなのに」

「それでも私は、やつに頑張れなんて絶対に言わん、それだけだ!!」


心の奥が、しくりと痛んだ。なんだよ、くそ。別に繰り返して言わなくたっていいだろ、そんなこと。
わかってるよ、どうせあんたはあたしのことなんて嫌いなんだろ、つまりさ、そういうことなんだろう。出て行って言ってやろうかと思った。
こんなに足が重くなけりゃ。ぎゅっと目を瞑ったリーネが、一生懸命あたしのことを押さえてなけりゃ。あたしはきっと、出て行ってたのに。


「変なの、シャーリーが頑張ってネウロイを倒すことの、なにがそんなにいけないのさ?」

「それがいけないなんて、言っていない!!」

「殆ど言ってるようなもんじゃん。大体さあ、それでシャーリーが頑張る気失くしちゃってたら、どうすんの?」


「っ……頑張る気なんぞ……なくて、いいんだ!」


――あれ。


「単機の危険さだって、重々、承知してる……だから!! だから、言わないんだ!!」

「だから、っていうのは?」

「そんな危険な、状況で……『頑張る』のはっ……」


おい、待てよ、なんで、おまえ。


「……そういう、気負いを……私は、あいつに、背負わせたくないんだ!!」


なんで、おまえ、泣いてるんだよ。




「なるほどねえ……って、だからさあ、そういうことは、本人に言ってあげなよってね……リーネ!」

「は、はいっ」

「っ、うわ!?」

「え……っ、な、り、リベリアン!?」


そんな中、何もかもを突き破ってしまうようなぱちん、というハルトマンが指を鳴らした合図と一緒に、あたしはリーネによって、今度は背中を押されていて。
気が付いたら、あいつが目の前にいた。びっくり仰天、なんて言葉が一番ぴったりであろう、間抜け面した大尉どのが、目の前にいた。

髪とおんなじ色した瞳を、ぎゅっとするくらい綺麗に濡らしたバルクホルンが、そこにいた。




「お前……っ、い、いつから」

「え、ええっと、いや、あたしだって、盗み聞きする気はなかったんだぞ!?」

「いつからだ、と聞いてるんだっ!!」

「ああもう、えっと、トゥルーデらしくない、あたりから全部!! っていうかこれで伝わるのかよ!?」

「う、うるさい、わかるか!! 秒数で言え!」

「何秒前ってか!? それでもわかんないだろうが、お前馬鹿なのかよ!!」

「馬鹿はお前だろうがっ!! 私に……私、に、頑張れって言えなんて……そんな、ことっ……!」


言うと同時にバルクホルンはまたぽたりぽたりと大粒の雫を溢れさせてしまうわけで、いや、待て待て待て、もう、わけわかんないって、どうしたらいいんだ、あたし。
泣くなよ、お前が泣いてるとこなんて見たら怒鳴り声だって弱々しく聞こえちゃうじゃんか、ああもう、大尉どのは胸張って怒鳴り散らしてるのが似合いだっていうのに。
だけど一回溢れちゃったものはなかなか止まらないみたいで、そのくせそこは意地張って声も出さないで泣くバルクホルンを、暫く見つめるあたしだった。
手を伸ばして撫でてやればいいかとも思ったんだけど、なんでか、そうできなかった。だって、だってこいつはさ。


こいつは、もしかしなくても、あたしのことで、泣いてるんだよな。


「……私は、頑張れ、なんて、お前に言いたくない」

「う、うん」


「それで……それでお前が……私のようになるのは、見ていられない」


それでも、涙の隙間、ぶるぶる震えるこえで、バルクホルンはそう言って。
あたしはそのときやっと、ああ、と思ったのだ。こいつは、しってるんだ。『頑張れ』って言葉が、たまに持ってるおそろしさを、こいつは誰よりも、知っているのだ。
その言葉が、たまに人をものすごく追い詰めてしまうことを、じわりじわりとひとを追い込んでいくことを、こいつは、知っていたから。
いつかその言葉にがんじがらめになって、自分自身の首すらも絞めていたようなこいつは。そうだ、だから、たぶんこいつは、その言葉が、怖くて。


――だから、あんな、ひどいこと?


「……シャーロット・E・イェーガー」

「な、なんだ、突然フルネームで?」

「いいから! 一度、私を……なんでもいい、違う呼び方で呼べ」

「え……ええ、む、難しいこと言うな、お前……ええっと、なんだっけ」

「なんでもいい、早くしろ、馬鹿!!」


「ぽんぽん人のことを馬鹿って言うな、ゲル……ああ呼びづらい、トゥルーデ!!」


って、自分でそうするように差し向けといて赤くなるなよ、なんだよ、あたしもフルネームで呼べば良かったのかよ、ちくしょう、こっちまで熱くなってきた。
さっきのさっきまで静かだったはずのあたしの中はやたらめったら五月蝿くなってしまって、慣れないことなんてするもんじゃないと思った。
いや、されるもんじゃない、ってのもあるけど。くそう、フルネームだって他人行儀なことは間違いないのに、変だな。へんなんだよ、こいつにシャーロットなんて呼ばれると。


「なっ、なんだよ、黙るなよ、こんなことさせた意味は……」

「私は!! 今この一瞬、軍人としてのゲルトルート・バルクホルンではない!」

「……あ、ああ?」


いや、それにしてもこいつ、いちいち叫ばなきゃ、気がすまないのかよ。耳まで真っ赤にしやがって。
なんだよそれ。なんだよそれ、ああもう、ちょっと可愛いとか思うな、あたしも。言いたいことがあるなら聞いてやろうじゃないかって、ドンと構えろ、シャーリー!


「だからっ……シャーロット、お前の友人として、言う」

「…………」


「がんばらなくて、いいから。頼む、無事に帰ってきてくれ」


「……うん。」


だけどいつだってものごとはあたしが構えてたよりずっと上をいってしまうもので、あたしは結局、そんな返事しかできないまんまで。
言葉なんて一つたりとも出てこなくって、結局あたしがどうしたかって、そんなのはさ、どうにも言えや、しないんだからさ。
そんなのもう、思いっきり手を伸ばすしか、ないじゃないか。


「うぁ……く、苦しいぞ、やめろ、リベリアン」

「うるせ、もうちょっとシャーロットって呼んでろ」


そしたら、あたしだってあんたのこと、抱きしめやすくなるんだから。
だから早くしろ、あたしの目が、使い魔よろしく真っ赤になっちまう前にさ!!






おっ、おっかえりシャーリー、撃墜おめでとー。いやあ、すっごいスピードだったねえ。けどズボン丸出し、にっしっし。
それにしてもなにそんなに赤くなってんの、っていうか、睨みつけられるような筋合いはないはずだけどなあ。お礼を言われることはあってもさ。
だって、ああでもしないとトゥルーデ、絶対シャーリーにちゃんと言わなかったろうって思ったんだよねえ。ほんと、お姉ちゃんの世話を焼くのも疲れるよ。なんてね。

でもなんであたしだってバレ……ああまあ、バレるか。リーネがもう少しうまくやってくれてたら良かったんだけどなあ。協力してもらっといてなんだけど。
時間通りにトゥルーデに吐かせるくらいは簡単なんだけどさ。あたしが二人居たら便利だったのにな。あ、ウルスラ……って、全然違うって。
いやほんと、結構あたしも考えたんだよ、シャーリーを足止めしてから連れてくる役。
ルッキーニとかミヤフジとかには無理そうだしさ、ペリーヌとかさーにゃんとかエイラはそもそも協力自体無理そうだし、ミーナとか少佐には頼めないし。
リーネだったらそれなりにシャーリーとも話せるし、まあ真面目な子だから言われたことはきっちりやってくれるだろうし、話せばわかってくれそうだったからさ。
え、ああ、話がずれてるけど、まだ何か聞きたいことがあるの。続きって言われても別にないよー、シャーリー、顔、怖いって怖いって。
つまり、エーリカちゃんがキューピッドだったって話だよ、以上。なんてね!


「……フラウ」

「んあー、どしたのトゥルーデ、あたしもう眠いんだけど……」

「ああ、いい、寝てろ。寝ぼけて聞いてろ」

「……トゥルーデ意味わかんない」


「ありがとう、フラウ。」



……なんだよ、ほんと意味わかんない、トゥルーデってば。


 

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