れいかのすきなとこ。
 落ち着いて優しい声をしてるとこ。
 髪がさらさらで綺麗なとこ。
 立ち姿が凛としてるとこ。
 自分の気持ちを言うのがちょっと下手なとこ、きまじめすぎるくらいきまじめなとこ、それから。それから。それから。
 それから、ぜんぶ。

 れいかのきらいなとこ。
 うちのこと、きらいって、言うてくれへんとこ。


 このあついあつい手のひらがほんとにどうにかなってしまえばいいのにって思ったのに、れいかがそれを好きだなんてひどいことを言うから、あかねはいまだに、自分の手すらも恨めずにいる。
 あかねさん、と呼ばれた。いつもあまりにも透き通っているそれは、ただの少しも逃げることをゆるさずに、あかねの深い深い芯の方までをゆさぶってしまう。あかね、さん。それがあんまり優しくて、優しいから、あかねは、自分自身の右手をぐっと押さえつけていた手に、よけいに力をこめなければならなかった。痛いくらいに。握りつぶしてしまうくらいに。
 感じる温度はいつだって熱い。みんなを照らして温めるための太陽の象徴。そんなあかねの手のひらを、れいかはいつも、好きだと言う。
 れいかのことを、溶かしてしまうそれを、れいかはいつも、好きだと言う。あかねさん、と呼ぶ、そのときとまったく変わらない、優しくて静かな声で、言う。

「あかねさん。」
「……っ、れい、か」

 すこしだけだから、あとすこしだけだから、あと五分、一分、三十秒、コンマ一秒でも長く。ごめんなってあかねが言う回数が増えるだけ、それにこたえてれいかが律儀に小さく首を振って返すぶんだけ、手はどんどん押さえつけられなくなっていく。ほら、今、だって。
 ふるえる熱い熱い指先が華奢な肩の先に少しだけふれた、つらそうだったり苦しそうだったりといった表情をせめて見せてくれればいいのにと思ってあかねはれいかのほうを縋るような目で見るけれど、れいかのこたえはいつもわずかな微笑みだった。あかねの中にこだまする強張りを、ゆるやかに解いてくれるような微笑みだった。

「れいか」
「だいじょうぶ、ですから」

 肩、から背中へ、服の上からでもわかるつめたいつめたい肌の上、あかねの手がこわごわ伸びていく。ふるえて、止まりそうになるたびに、布があかねの指のあいだでくしゃりと小さくなるたびに、れいかはくすっと笑ってくれた。だんだんと近づいていく顔どうし、れいかの発するそのわずかな吐息が、あかねの鼻先をそっとくすぐる。
 薄いからだの、真ん中までたどりついたら、もう、止まらなかった。せめてあかねは息を飲み込んで、自分の口から吐き出されるそれが、れいかの身体に触れないようにって、そんなことに必死になるけれど。骨がかすかに軋む音ですらも聞こえてきそうなくらい、つよく、つよく、ぎゅっと抱きしめたら、あかねの熱はどんどん上がる。あかねの体の隅々までいきわたった酸素が、れいかの、つめたい肌と触れ合った箇所の全てから一気に燃え上がって、あかね自身も焼き殺されそうなくらい、熱く、熱く、なる。
 もうだめだってわかってるのに。頬どうしをゆっくりと擦りあわせて、痩せた背中を撫でて、指先をすっと冷やす髪をはじまりから終わりまでずっとたどって、抱きしめて、抱きしめて。あかねはぎゅっと目を閉じる。全身が心臓になってしまったみたいな音がする。そいつはどくどくとあかねの体中にまた酸素を運んで、熱が、どんどん、膨れ上がっていく。
 あかねがれいかのことを必死に撫でるのは、同じ場所を触っているのが怖いからだ。それで、彼女が、溶けてなくなってしまうのが、怖いからだ。それをきっと一番わかっているはずなのに、れいかはうれしそうな顔をする。よしよしだなんてめったにされなかったらしいれいかは、ちょっとはにかんでいるみたいに、でもとびっきり、うれしそうな顔をする。

「れいか、れいか、れぃ……っ、」
「ん……ぁ、かね、さん」

 何度も、それでもいちどいちどにたくさんの、途方もないくらいたくさんの想いをのせて、ふたりは軽いキスをする。触れては引いて、こわごわと。やわらかでやっぱり少しつめたい唇の上を、すべって、食んで、舌先でかるく撫でる。れいかがくすぐったそうにしてると思った、あかねも一緒に笑ってやれればいいのにって考えるけれど、口を開いたらなにかもっと別のなにかが零れてきそうで、今のところ、もしくはこれからずっと、できそうにない。

「あ……」

 そのとき、れいかの額が、ひたりと、あかねの同じところにくっついて――れいかの肌の上、冷え切った汗が、ぬらしていることが、わかって。
 あかねは急いで額を離した、背筋はどんどん寒くなるのに、皮下のさざめく熱だけがいつまででもおさまってくれない。でももう手を放さなくちゃ。わかっていて、わかっていたからあかねは身を引こうとしたのに、そこでやっと気が付いてしまう。
 れいかの手が、いつの間にか、自分の背中に回っていて。細い指先どうし丁寧におり合わせて、あかねのことを、きっと彼女からすれば考えられないほどにしっかりと捕まえていることに、気が付いてしまう。

「れ、れい、か……」
「だいじょうぶ、です……だいじょうぶ、です、から」

 優しく組まれた手は、あかねの背中をゆっくり撫で上げて、そうしてあかねの頭の後ろまでたどりついた。冷たい汗を、こめかみから首筋までぽたり、ぽたりと滴らせるれいかは、それでも綺麗に笑って、きれいにきれいに笑って、あかねの頭をぎゅっと抱え込んだ。れいかの肩にうずもれるようなかっこうになったあかね。胸いっぱいに、れいかの匂いを吸い込んだ、あかね。

「れいかっ、やめ……も、やめよ、な? やめよう、やめよ、れいか、やめよ……!」
「いいんですっ……いい、いいんです、あかねさん」

 悲鳴みたいな声であかねは必死にれいかを呼んだのに。あかねの燃えるような髪に鼻先を擦りつけたれいかは、肩口にあかねの額を押さえつけたまま、深くひとつ息をする。
 だめなのに。そんなに混ざり合ってはいけないのに。鎖骨の浮いた肌の上にも雫が流れているのがあかねには見えていたし、なにより自分の髪から滴ったそいつが、目の前をぽたりと流れ落ちていった。もう限界なのだ。いや、限界なんてとうの昔に通り過ぎてしまっていたのかもしれない。それでもあかねは泣いてしまいそうな仕草でれいかの腕から逃げ出そうって、れいかの体を離そうって必死になるけれど、まるでいのちがけみたいにあかねのことをれいかが捕まえているから、力がどんどん、しぼんでいってしまう。
 あかねの心の中、ほんのわずかでも――うそだ、どうしようもないくらい、れいかがそうしてくれるのがうれしいって思ってしまっている気持ちがあるから、あかねの両手は、ついにはぱたりと落ちて。れいかのことを、抱きしめて、しまう。

「れ、かぁっ……れいか、れいか」
「はい、あかねさん。きこえて、ます」

 ちゃんと聞いてるから、ねえ、言って、ちゃんと言って、どうか、言って。
 あなたの中で、そうして膨れ上がった熱で、たくさんのあたたかな気持ちで、燃え上がった熱で、溶けて、しまうなら。


「れいか、好きや……っ、すきや、すき、だいすきやから、なぁ」


 私は、さいごまで笑っていられそうな気が、するのです。 

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