はいにきらめく日




 きみを、傷つけてしまうもの、すべてから。
 守ろうと、してきて、


 肩を並べて戦えることが嬉しいなんて、どんなにうつくしいことでも、どんなにすばらしいことでも、絶対に、言えるわけがなかった。
 ほんとはいつだって考える。戦いが終わって、きみが、浅い息をゆっくり整えているのを見るたびに、考える。その手に握られた自分と同じものをみて、考える。
 あれをこわしてしまったら、どうなるんだろうって――こんなことには、ならなかったんじゃ、ないかって。

「っ、あ……!」

 そうして彼女の線の細いからだはかるがると吹っ飛ばされた。
 ひどい、ほんとうにひどいことが起きたら、にんげん、目の前のことから逃げてしまうために、頭を真っ白にしてしまうらしい。目の前のつらいことからどうにか自分を逃がしてしまうために。自分が壊れてしまわないように。がらがらと崩れる音はあかねの耳にも届いたけれど、それがはたして向こうの瓦礫から鳴った音だったのか、それとももっと違う、もっと、息苦しいほど近くで鳴った音だったのか、一瞬あかねにはわからなくなっていた。
 ああでも、そうなのだとしたら、いま自分の目の前が真っ白になんてちっともなっていないっていうのは、それどころか真っ赤に真っ赤に脈打っていて、異様なくらいにはっきりしてるっていうのは、まったくもって、正しいことなのかもしれない。逃げるなんてとんでもないし露ほども考えてやるものか。
 敵がどんどん強くなっているのは確かなことだったしあかねたちの技は軒並み通じなくなっていたけれど、だからといってどうだというのだろう。苦戦と長期戦で、たとえば右手の感覚だとか左足の膝だとかはほとんど使いものにならなくなっていたけれど、ああ本当に、だからといって、どうということもないのに。
 耳鳴りというよりは暴風のような音を聞きながらあかねはぼんやりとそんなことを考えていた、それは間違いなくからだじゅうの血が一気に逆流する音だった、だからあかねがなにかしら言語化できるような思考を抱えていられたのは、ただそれまでの話だった。あとに残ったのは赤だ。ただ、赤だ。
 視界を染めたそいつは一気にあかねの全身へと広がって、渦巻いて、そうして、燃え盛る。今はたたかうひとに姿を変えている、あかねに宿った炎の意志が、御しきれない昂りに合わせて、ごうごうと、ごうごうと。

「―――っ!!」

 引き絞るような、声を、だれかが、聞いただろうか。あかねにはもうわからない。
 だれかが自分の名前を呼んだような気がする、もしかしたらみゆきもやよいもなおもみんな。でもたった一人がそれを口にしてくれなかったから、壁に叩きつけられて、綺麗な頬に幾筋もの擦り傷をのこしたまま、ぴくりとも動かなくなってしまったあの子が、呼んで、くれなかったから。
 それだからあかねは埃が舞うのも待たずに大地を蹴った、笑ってしまうくらいに体は軽かった。このやろうとかあいつがにくいとかぶちころしてやるとか、とにかくひどい言葉であかねはぱんぱんにはちきれそうになっていて、そのすべてを詰め込んだ拳は、もちぬしであるあかねにとってですら、握りづらくてたまらなかった。だからこそ、どのくらいの力がこめられていたのかは、どういってもきっと足りはしない。
 身体をばねのようにしならせて飛びあがったあかねは、エネルギーの大きさのあまりに細動する拳を槌のようにふりあげて、一気に振り下ろした。一瞬音を置き去りにした衝撃は、しかしまばたきのうちに部屋中をびりびりと震わせる。その大地の鳴動が呼び寄せたように燃え上がった火柱は、すべてを包み込み、浄化していく。焼きつくし、喰らいつくし、霧散させていく。

「……す、ごい」

 ぽつりとそうつぶやいたのは、仲間の内の、誰かだったけれど。
 その声の色は称賛というよりも畏怖だった、思わず喉を鳴らした仲間たちの横顔を、轟音を立てて燃え盛る火柱が、いつまでも、いつまでも照らしていた。

 熱と炎の、こころ。激しく燃やしたあとに、残っていたのは、ほんのわずかな、なみだごえ。どうしてこんなことになってしまったんだろうって、たったそれだけ。
 こんなはずじゃなかったんだ。こんなつもりじゃなかったんだ。話す機会が格段に増えたことが嬉しいだなんて少しでも考えたか、いっしょにいられる時間が増えたことが幸せだなんて少しでも考えたか、それと背中合わせにあの子におとずれるたくさんのひどいことを、少しでも、考えたか。
 考えているつもりだった、覚悟しているつもりだった、だから強くなりたかった。強く、強く、もっと、もっと、もっと強く!

「う、う、ぅぅあああああ!!!」
「サニー!!」
「待って、もう敵は……きゃあっ!?」

 王国の住人がいつもの捨て台詞を吐いて立ち去ってから、数秒。思わず飛び退ってしまったなおとみゆきは、すぐにそれを後悔することになってしまう。だってもう一度離れてしまったらとても近づけそうにはなかったのだ――体中から、赤々とした劫火を吐き出し続けたまま、悲鳴を上げるあかねに。
 ちからが、暴走している。わざわざ確認するまでもないことだった。周囲に立ち込めはじめた嫌な臭いはまぎれもなく皮膚が焦げていくときのそれで、なおとみゆき、やよいの三人は落ち着いて変身を解くようにと必死にあかねに声をかけるが、戦士のからだを以てしてなお一歩たりとも近づくことのできない紅蓮の炎は、仲間の声すら飲み込んでいくかのように、さらに勢いを加速させてゆく。
 なんとかしなくちゃ。なんとか。やよいなんかはもう涙目になって呼びかけていたけれど、もはや炎の壁の向こうで影のようになってしまっているあかねには、手を差し伸べることもかなわない。光の力では。雷の力では。風の力では。
 では――?

「マーチ……ハッピー、ピース。すこし、さがっていて、ください」

 破壊の音が響き渡る中で、その落ち着いた声は、凛と涼やかに、熱で包まれた中だからこそ水を打ったように、響いた。三人が振り返れば、そこには、つぶされた手足を引き摺りながら、それでもしっかりとした足取りで、こちらへと近づいてくるれいかが、いて。
 なにせ彼女はかしこい。三人はかなしいほどにそれを実感する。いつ意識を取り戻したのだかは知らないが、止まらない火柱に陽炎と熱に包まれた周囲、そして三人の表情という材料が揃えば、整然とした彼女の思考は、次に何をすればいいかを淡々と弾き出して、自身の体に冷たい命令を下す。

「あ、あの……っ」
「大丈夫。大丈夫、ですから」

 だから彼女は、笑って炎の中へ、歩いていったのだ。穏やかな、穏やかな足取りで。


 熱い熱い熱い熱い熱い、熱い、もうそれしか、考えられない。そのはずだった思考に、ほんの一瞬、なにかが煌いた。つめたくて、やさしい、なにかが。きっとあれを掴まえれば、助かる。あかねの耳元でそう囁いたのは本能の燃えかすみたいなもので、朦朧とした意識の中で、それはやけにはっきりと聞こえた。
 でも、どうして、だろう。力がもう残っていないからというのではなく、あかねの手はわずかに持ちあがって、それを掴まえようと広げたおかしなかっこうをしたっきり、とも動かなかった。いきのこるための命令も押し退けて、あかねはからだを固めていた。その間にも煌めきは、ゆっくりと光を増していく。ただ赤になっていた視界が、そのたびごとに色を落ち着かせていく。やさしい、やさしい、色に。
 あかねの、だいすきな色に。

「サニー。サニー、聞こえて、いますか」
「あ……ゅ、てぃ、」
「サニー、落ち着いてください。ゆっくりで、いいから」

「っ、やめ、離れんかっ……!」

 それを理解したとたんに、あかねはもう少しで届きそうだった、あともうほんの少しで、れいかの華奢な背中に届きそうだった手を、つめがくいこむくらいに、ぎゅっと握りしめた。もう絶対にこれ以上、動いたりなんかしてしまわないように。視界いっぱいに広がった青。れいかの顔は、そうして苦痛にゆがんだ。でもほんの少しのあいだだけの話だ。それこそ、収まりつつあった炎をまた跳ね上げてしまったあかねが、あ、と思う隙間もない。
 だいじょうぶ、だいじょうぶ、ですから。しろくて、泣きたいくらいに綺麗な、れいかのつめたい腕。熱が暴れ回っているあかねの背中にひたりと触れて、ゆっくり、ゆっくりと、冷やしていく。れいかの、呼吸の、おとだ。爆発しそうだった心臓に叩かれるあかねの胸をそっとくるんでいたそれは、そのうちに、あかねの呼吸のリズムも、整えていく。ずっとずっと燃え上がっていた悲鳴が、だんだんと、萎んでいく。
 淡雪のような、れいかのからだに包まれて。あかねの上げる炎は、最後に一度ゆらめいたっきり、ふっと、消えて。
 
「れい、か」
「だいじょうぶ、ですから。ね、あかねさん。」

 黒く汚れたあかねの頬を、なんのためらいもなくそのつめたい手で拭ったれいかは、やわらかに、やわらかに、微笑んでいた。



「手、見せ」
「えっ?」
「手。見せて、れいか」

 とにかく解散して今日は休もうという話が決まった段で、解散していく仲間たちに外れて、あかねはれいかの後を追いかけてきていた。普段だったら、なおと同じ道をたどっていくはずのれいか。それが今日は一人、少し用事があるからと反対方向に歩きはじめた時点で、おかしいということははっきりしていたのだ、あかねにとっては。なおはれいかの言うことならきっと信じるんだろうけど、あいにくとあかねのほうはそこまで真っ直ぐでいいやつじゃない。少なくともあかね自身は、自分のことをそう思っている。
 れいかは困ったように笑ったけれど、それはふたりのあいだでは、どうしようもないくらいに明瞭な答えだっただろう。あかねはまたかっと目元が熱くなりそうになるのを感じながら、でも今度は迷いなく手を伸ばした。れいかの、かんたんに手折れてしまいそうな手首を、握った。伸ばされた手をれいかは振り払うことができないと、そんなずるい確信を胸に抱いて、あかねはれいかの手を取って、そして、手のひらを見た。
 彼女の、繊細な指先が伸びるその始まりあたりから。あかい痕が、そこには広がっていた。

「やっぱり」
「……あかねさん、でも、これは」
「せやから!! っせやから、離れてって、言うたのに!!」
「…………」
「なんでや……なんで、なんでや、れいか、っ」

 いくら氷の戦士だって、それで全部大丈夫なわけないって、かしこい彼女が、わかっていないわけがないのに。
 でもそうなるとれいかは、こうなるってわかっていてやっていたということになって、それならいっそもっともっとばかだったらよかったのになんて、あかねは思ってしまう。れいかが、なにもわかっていないようなばかだったら、まだよかったのに。きっとそれだったら、こんなに、めちゃくちゃな気分にならなかったのに。
 でもれいかが困ったようにしか笑わないから、あかねは痛々しいあかさで染まった彼女の両手を、離すことができない。

「……とにかく、手当て。手当て、せな」
「いえ、それは……だい、」

「だいじょうぶって、言うな!!」

 泣き叫ぶように言ったあかねは、それでも乱暴になんてどうしたってできないれいかの手をそっと引くと、ずんずん大股で歩き出した。
 鼻の奥がぎゅうぎゅうわしづかみにされたみたいに痛くって痛くってしょうがないのを、ふみつぶしてしまうように。


 その足がようやく止まったのはあかねの家の、さらに奥へ行った部屋でのことだ。店内は相変わらず賑やかだったし、常連さんなんかはあかねの姿を見つけると嬉しそうに手を振ったけれども、あかねは曖昧に笑うことすらできないまま、父親やちょうど店を手伝っていた弟が怪訝そうな顔で見つめるのも構わずに、足早にその場を立ち去った。
 部屋に着いたられいかをベッドの上に座らせて――そこくらいしか片付いている場所がなかったというのは、完全に誤算だったけれども――台所へ向かうと、ビニル袋に水と氷をばしゃばしゃ詰めて、ほとんど駆け足で戻った。座らせた時のままでこっちをそっと見上げているようなれいかと目が合うと、なんだか、たまらない気持になるあかねだった。

「手ぇ、冷やさんと。れいか、こっち」
「……はい」

 あちこち水滴がくっついていたり、氷の粒が散っていたりする、手作りの氷嚢。あかねが両手で支え持つそれに、れいかはそっと、きめこまやかな白の上に、痛々しい赤が塗りたくられた両手を、のせる。中で氷どうしがぶつかって、からんとつめたい音を立てた。
 あかねの部屋のベッドの上、並んで座ったふたりの間には、ほとんど、言葉はなく。ただ氷が擦れたり、溶けたりするわずかな音だけがたまに沈黙をやぶって、あかねはそのたびに、両手を差し出したままじっとしているれいかのほうを、ちらっと、見つめる。何か言いたくて、でも、何も言えないままでいる、ちりちりと灯りの揺れる瞳で、見つめる。
 どのくらい、そうしていただろうか。多分そんなに長い間じゃなかった、何度目かに絡んだ視線をまたあかねのほうからぷつりと切ったそのとき、れいかが、ためらいがちな色を滲ませながら、それでもおずおずと、口を開いた。

「あの、あかねさん」
「……なんや」
「だ……、いえ、もうだいぶ、良くなりましたから。あの、氷、もう、いいです」
「あかん。やけどは、ちゃんと冷やさんと」
「でも……その、このままで、いると」
「…………」

「あかねさんの、手が。冷え切って、しまいます」

 氷嚢を、まるで捧げるように持っている、真っ赤になって、冷たく痺れた、あかねの指の隙間で。
 氷が、からんと、音を立てる。

「……べつに、ええねん、そんなこと」
「よく、ないです」
「ええって。それよかれーか、ほんま、ちゃんと冷やしとかんと……痕に、なったら、どないすんねん」

 そのときれいかは、ふっと黙って。息をつめるように、黙って。あかねは手元に落としていた視線を思わずまたれいかの方に、導かれたように、向けてしまった。
 あ、と、言ってしまった、と、思う。あかねの、ふるえてしまいそうな唇から、きっとそれは零れ落ちてしまった。燃える、燃える、あかねのこころの、かけら。
 それをそうっと受け取るように、れいかは笑って。

「いいんです」
「……っ、よ、よくない、やろ。せっかく、きれーな肌、しとるのに」


「いいんです、よ、あかねさん」


 その、赤々と燃えるかけらを、触れたら痛いって、わかっていたそれを、なんにもかまわず、握ったれいかは。
 とても、とても、うれしそうに、笑っていて。 


 ああ。
 きみを、傷つけてしまうもの、すべてから。
 守ろうと、してきて、それなのに。

 それなのに、どうして、

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