きかんしゃのまねをしてくれなんて、ひどいことを言われたことがあるのだ。
 あれはけいただったかこうただったかゆうただったか、ともかくうちの男子どもの一人であることは間違いがないのだけれど、一応、これでも、それなりに、センサイな時期の女のコと言ってもいい年齢であったあたしにとっては、ちょっとひどい話だった。それをあたしに言うってだけならまだしも、しゅっぽーしゅっぽーなんて言いながら、ひとの背中をぐいぐい押してくるところとか、よけいひどかった。ゆうたなんてちょうど、朝にやっているあのよくよく見ればちょっとグロテスクな気もする人語を操る機関車にお熱だった時期だったものだからもうはしゃいでしまってはしゃいでしまって。ほらお姉、早く煙、煙! なんてけいたが囃し立てちゃって。
 でもいちばんひどい話だったのは、つまりその最後尾、いつもどおりの「しゃしょうさん」の役のところに、けいたくん、あれは煙ではなく水蒸気なんですよ、なんて、口元にひとさしゆびをちょんとあてたかっこうで、穏やかに訂正してくれるあの子が、いたってことだったんだろう。そんな顔されるとなんにも言えなくなる、そんなことされるとなんにも言えなくなる、ほんとは誰がしゅっぽーなんて言うかって言い返してやろうって思ったのに、黙って前向くしか、しようがなくなる。
「あっ、ほら、お姉がまた煙吐いた!」
「……っだから、水蒸気!」
 いや、違う、水蒸気でもないんだけど!!

 そうそうそういえば、そんなこともあったわねって、冬の、特にこんな雪の日に残っているひとのわるい思い出を掘りかえしてくれたというのに、涼しい顔のきみだった。ふふふと口元にあてた、寒くて真っ赤になっている指の隙間から、細く、細く、白い息。あたしの、だから言ってみれば冬のたびにからかわれてしまう、機関車とか煙とか水蒸気とか、そういうのとは全然、大違いのやつだ。いや、悪意なんて言葉からして知らなそうな子だから、今だってころころってかわいい音がしそうなくらいにむじゃきに笑っているきみだから、そんなつもりはなかったんだろうけど、も。
 ああ、でも――きっとそんなんだから、きみがずっと、そんなんだから。あたしのこのくせは、いつまでたっても、治らない。
 だって数年前もその次の年も今年もきっと来年も、道がさくさくいうようなさむいさむい日に、あたしの隣を歩いてくれているのは、きみだもの。(そうじゃないと、いやだもの。)
「……どうせ、白ひげおじさんみたいですよ」
「まあ、それも弟くんたちに言われたの?」
「どうせ、脱脂綿みたいです、よー!」
 そうねえ、と、れいかがひとりごちるみたいに言っていたのを、あたしはちゃんと、聞けていたか、どうか。
 かかとのところできゅうっとつもった雪をふみしめて、れいかが足を止めていた。あたしの足がそう思うよりもずっと前に自然と止まっていたのは、きっと、彼女の視線がそうさせたのだ。青くすきとおった瞳が、ゆっくりあたしを、そこに結び付けてしまった。きっとそう。
 だから、じんわりと赤い両手が、そうっと、そうっと、ふたつこっちに向くまで、あたしはやっぱりずっと、水蒸気なんだか白ひげなんだか脱脂綿なんだか、そんな白くてたっぷりの息を、ふかふか、吐き出していて。
「ほら。」
「う、ぇ?」

「なおはぜんぶ、あったかいから。」

「………っ、」
 あなたはいつもそうだから、って。
 ああ、だから、だから、きみがいつも、そういうふうだから!
 ほんとうにもうって思うよりも多分ちょっとだけ早くあたしの足は一歩を踏み出していたのだ、れいかみたいにかわいらしくかかとのとこだけっていうんじゃなくって、なんかもっと、足の裏全部使って、雪の上にしっかりとした足跡をつけて。れいかの手ってほんとにつめたいんだってことにびっくりせずにいられたのは、思うに勢いがついていたということの成果であって、だから、それを引っ張ることまでも、ちゃんとできた。
「あ、」
 ちゃんと、ぎゅってできた。
 ただ、おたがい首に巻いていたマフラーがこすれて布の音が立ったときに、ちょっとだけ動きが止まりかけたっていうのは、絶対のひみつだ。そういうちっちゃな音でだって、なおはもうちょっとちゃんと巻いた方がいいわなんて、いつもよりずっと簡単に距離を詰めてきたこととか、丁寧に巻きこんだ髪を払ってくれる手つきがやさしかったこととか、すぐ思い出しちゃうんだから。でもそれもきみのせいだよ。
 きみのせいなんだよ、あたしの息が、毎年、毎年、冬にはいっつも、ほこほこ、白いのは。
「え……と、な、」
「こ、こっちのほうがっ」
「………?」
「こっちのほうが……もっと、あったかい、よ」
 だからこれは仕返しなのだ、絶対の絶対に仕返しなのだ、れいかの息だってもっとたっぷり、白くなっちゃえばいいんだ。くすんと触れたほっぺたとか、目の前にある耳たぶとかが、すごーく真っ赤になってしまっているような、雪みたいなきみも。あたしみたいに、できればもっと、あったかくなっちゃえばいい。
「…………、」
「……あ、れ?」
 ぐ、ぐ、ぐ、と、ぴったりくっついていたはずのあたしとれいかのあいだ、ぴりっと冷えたいたずら風が走り抜けられそうなほどの隙間がこじ開けられてしまったのは、でも、それからくらもしないうちのことだった。
 つめたい、と思った、両肩のあたりだ。冬服にベストにコートにって着ている以上、例えば触れているものの温度があたしの身体にまでダイレクトに伝わるためにはそれなりの触れ合いというものが必要なわけで、有り体に言えば、つよく押しつけられることが、必要で。つめたいってわかったってことはそれがあったってことだ。回りくどく考えてしまったってことは、しばらくぼんやりしてしまったってことだ。
 ぼんやりしてしまったってことは、びっくりしてしまったってことだ。
「ええ……れ、れいかぁ……」
 れいかに、両手をぐうっと肩に押しつけてまで、身体を引き離されてしまったことに、なんていうかもう、わりと、けっこう、かなりの、ショックを受けてしまったって、ことだ。
「れーいーかーぁ……」
「…………。」
 われながらめちゃくちゃ情けない声が出ていることはわかるんだけど、れいかってばあたしがもう一回のばした手からもするりと逃げて、なんとあたしに背中を向けてしまった。頬が冷たい手が冷たいお腹のあたりもすごくつめたい、だってさっきはあったかかったんだから、そういうのってよけいわかっちゃ。ああでも背中、れいかの背中、垂らした髪の上からマフラー巻いてるのってすごく可愛い、いやでも、そうじゃなくて。そうじゃなくて!
「れ、」
「……あつい」
「えっ?」

「……あつい、から、ダメ。」

 ぽつりと言って、早足でさくさく歩き出してしまったれいか、の、髪が揺れて。ちょっとだけ見えたほっぺたが、なんか、すごい、赤くて。
 そしてなにより――息が。
「……ははっ、」
 息が、きかんしゃみたいだよ、お嬢さん!

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