「Headgehogs」




 流れる音楽が沈黙を増幅させることがあるのだとして、それをこんなに真摯に体験する機会を持てたにんげんというのも、きっとめずらしいだろう。
 同年代の子たちと比べればあまり出歩かないできたポロニアンモールに、よりによって大晦日目前という時期にやってきたわたしが考えたのは、だいたいそのようなことだった。ここにも年の瀬の足音が迫ってきたらしい噴水の周辺には、いつも立ち話に興じている奥様たちも、疲れた顔で汗を拭うサラリーマンも、あてどもなく歩き回っている高校生たちもいない。ただショッピングモールにふさわしいであろう陽気な音楽だけが、置き去りにされていた。
 だけどきっと置き去りという表現がもっともただしく見合ってしまうのは、きっとわたしなのだろう。肌寒い沈黙に縮こまったまま、置き去りになってしまった迷子。どこに行けばいいかわからないのに、迎えに来てもらえるようなあてなんてあるはずもない。
 というか、初めから行き先なんて決まっていなかったけれど、そもそも行くあてがあると思うほうがおかしいのだ。こんな今年の末に、開いているお店なんて。唯一明かりがついているのはカラオケだけど、ひとりではいれるような勇気はわたしにはない。交番も開いているといえば開いているけれど、遊びに行くような場所ではないし。
 下ろされたシャッターとその上に掲示された新年の挨拶、初売りの予定なんかを、覚えるでもなくなんとなく目に入れながら、噴水の周りをぐるりと回ってみる。一歩歩くたびに、吹き付けてくる冷たい風が、体の芯まで冷やした。あと何歩かで一周ということになるのだけれど、そうしたら、もっとわたしの奥の方まで、冷え切ってしまうだろうか。
 こんなことになるなら、と思ったけど、その続きが出るでもなく、わたしはしんしんと冷たいベンチに腰掛けた。こんなことに、なるなら、出かけなければ。でも戻ったって、わたしは、同じことを考えるだろう。予想するまでもないようなことだ。明らかに真なことだ。
 そうしてひとつ、ため息をつくと、いやがおうでも昨日の会話が、よみがえってくるのだった。


「えっ、順平も!?」

 そんなときでも一番初めに頭をかすめるのは同じ声なのだなと、感心したような、あきれたような思いになるが。ともあれ、公子ちゃんがあの明るい声を、わたしの耳にすっかりとなじんでしまったそれを頓狂なふうに弾ませたのは、昨日の夜のことだった。
 ちょうど公子ちゃんの向かいに居て、現行のところの話し相手で、つまりはそれをまともに浴びる羽目になった順平くんはトレードマークの野球帽を半分ずらしてしまうほどびっくりしていた。そのくらい彼女の声には、力がある。
 ラウンジでなんとなく好き好きのことをしていたメンバーも、興味を引かれたようにそっちに目線をやっていた。もちろん、わたしも――わたしは、ごめんなさい、さいしょから。元気に駆けていく背中をおう癖の直し方をふと考えるようになったそのころには、もうわたしの耳とか目とか、そういういろんなものって、きっと彼女の方を向くようにプログラミングされてしまっていたのだ、ろう。
 ともかく回復につとめたらしい順平君は、帽子のつばをいじりながら、とりあえずあっけらかんとした顔で、笑って見せていた。

「ええ、っと……そう気ぃ落とすなって。なにも今生の別れってわけでも、ねえんだからさ」
「いやまあ……いやそうじゃなくて……いや、そうなんだけど」
「……なにぶつぶつ言ってんの?」

 そうやって少し目を眇めたゆかりちゃんにはどうもかなわないらしい――かなう人って、いるのかな――公子ちゃんがぽつりぽつりと白状したことには、年末ということでせっかく寮に集まった元・特別課外活動部メンバーが、明日にはほとんど居なくなってしまうらしい、ということで。
 言われてみれば、ゆかりちゃんはちょっと照れくさそうにお母さんのところへ行く、と言っていたし、真田先輩と天田くんは荒垣さんのお墓参りに行くみたいだった。桐条先輩はグループをこれ以上空けられないそうで、アイギスは一年の総仕上げのメンテナンス、そして順平くんは、たった今話していたけれど、やっぱり実家に帰省する、そうで。
 でも、わたしは。思うが早いか、みんなの視線が、たぶんごくごく自然な流れのひとつとして、わたしのほうへと向いてくる。ええ、と。

「山岸は、帰省しないのか?」
「あ、えと……わたしは、はい、残る、つもりで」
「そうなのか? 年末くらい、両親のところに顔を見せに行けばいいじゃないか」
「その……両親はどちらかというと、わたしがこっちで受験勉強に集中していた方が、安心だと思うので」

 顔を見合わせるようにした桐条先輩と真田先輩は、明らかに納得してはいないようだけれど、これ以上言及しないままでいてくれた。それに異常なほどほっとしていたのはわたしで、なぜってわたしは、その先に用意するべき答えを、ちっとも持っていなかったのだ。
 本当のところ、両親に対してそんな思いばかりを抱いているなんてことは、もう、ない。昨日も電話があったし、帰ってきて欲しそうな節は、会話のうちにたくさん見られた。だけどわたしはそれを振り切ったのだ。けれどわたしは、その理由を、言葉にできない。それはきっとーーきっと、わたしが口にする資格もないような、ことなのだ。
 そのときわたしと公子ちゃんの目線がぱっちりと合ってしまったのはなんとも都合の悪い偶然で、どうしていつものようにパソコンに目を落としておかなかったのかとこれほど後悔したのは、初めてのことかもしれないくらいで。機体がすっかり暖まったノートパソコンは、わたしの膝の上をじりじり焼く。
 でもそれよりも、それよりもたったいまのいま、ほんの一瞬かち合っていた目線の方が、わたしの深いところに焼きついているような気がするのは、きっととても、おかしいことだったのだろう。

「あっ、え、えーっと。その……あ、明日は二人なんだねえ、風花」
「……うん。」

 ほんとうに、おかしい話。
 焼きついたのはくっきりとでも、時間はごくごく短い間のことで、公子ちゃんは、きらりと赤い瞳が誰のことでも引きつけてしまうような公子ちゃんは、ふわりふわりと視線を空にさまよわせていた。きっとあの、元生徒会の先輩だった人なんかは、驚くに違いない。
 ううんそうじゃなくて、今ラウンジにいるみんなだって、どころか公子ちゃんのことを少しでも見知っている誰もが、こんなふうにとまどう公子ちゃんを見たら、驚くに違いないのだ。いつもとぜんぜんちがうじゃないかって、もっと、もっといつも楽しい顔で笑って、みんなの中心できらきらしてるような、それが、みんなの大好きな、公子ちゃんじゃないかって、きっと。

「だけどわたしも、朝からちょっと、出かけるつもり。」

 だからわたしは、もう、そう言うしかなかったのだ。
 迷子になるって、わかっていたけど。そうなのだとしたら、おかしなわたしは、公子ちゃんをも巻き込んでこんなふうにおかしくしてしまうわたしは、きっといつも、迷子だったから。わたしといたって、ふたりでいたって、楽しくないよね、あなたは。それだけが、迷子の手探りの中でも、はっきりと燃えていた。


「……さむい」

 もう少し暖かい格好をしてくれば良かったのかと思ったけれど、そういうのではない寒さだと、本当は考えるでもなくわかっていた。ポロニアンモールのBGMはちょうど六曲で変わるらしいという、どこで役に立つのだかわからない知識を得て、そして今に至る。なんとか暖をとろうと手を握り合わせてはみても、二つとも冷たいなら、結局のところ意味がない。
 吐きかけた息の白さで、気温の低さを思い知る。低いながらも太陽が南天する時間はとっくのとうに過ぎてしまっていて、それは公子ちゃんになんとか気まずい時間ばかりを与えずに済んだことと、このまま気温が低下していくとわたしの体が限界を迎えて、たぶんもうじきその時間を終わりにしてしまうことの相反した二つを明示していた。
 楽しい話がたくさん見つかるなら、よかったのに。こうだったらいいのにって願望ばかりが膨らんで、へたくそなケーキが焼ける。女の子らしくないわたしの趣味は、そういう話題をただのひとつも与えてくれない。いつかうっかりと口を滑らせたときは、ふんふんと一生懸命聞いてくれたけど、それはきっと彼女の優しさなのだ。そうじゃなくてもっと、自然に、楽しめるような。
 例えば音楽の話とか、どうかな。モールの中にはCDショップも軒を連ねている。公子ちゃんはよくここに通うのだろうか。知らないアーティストの話で、順平くんやゆかりちゃんとたくさん盛り上がっているのは、こっそり聞いたことがあったけど。中でも公子ちゃんが特に熱を入れているアーティストとなると、わたしは持ち前の検索力を妙なところで発揮して、インディーズの頃の楽曲まで手に入れてしまった。でもきっと、上手には話せない、だろう。

 おもうに、わたしの誰かとつながるためのプログラムは、初めからミスをはらんでいるのだ。だからいつも、上手に動かない。だからいつも、うまく話せない。だからいつも、あなたに、困った顔を、させてしまう。
 ただわたしがもっとも劣悪なのはそれをわたし自身も困ったことだとは感じていないことで、そこが一番、おかしくなってしまったところなのだろう。わたしの話題と話術の欠落は、彼女との間に明白な沈黙を作り出してしまうけれど、そうわたしは、わたしはそれが、嫌いではなかった、のだ。
 むしろ、ごめんなさい、ごめんなさい、きっとわたしはそれが、それすらも、好きでした。それでいつも、彼女らしくなく輝きの弱い微苦笑を、呼んでしまっているというのに。それでいつも、どうにか話題を探そうと、おどろくほど綺麗に整った顔を、少しくゆがめさせてしまっているというのに。
 わたしは、あなたとの間にあるならきっとどんなものだっていいような、そう思えてしまうようなおかしなにんげんで、だけどそれを、どうしてあなたにも、押しつけられるだろうか。そんな資格が、わたしなんかに、ある、ものか――。

「ワン!」

 沈黙がすっとやぶられたのは、そのときだった。見覚えのある装具をつけた、一匹の犬が、はふはふと白い息を浅く吐き出しながら、こっちにまっすぐ走ってきていた。

「コロちゃん! どうして、ここに……」
「ワン、ワン!」
「えっ……きゃ、ち、ちょっと! 破けちゃう、コロちゃん!」

 噛みつくなんて滅多にしないどころか、人の服を引っ張ったりなんて絶対にしたことの無いようなコロちゃんは、だけどわたしのスカートの裾を、ぐいぐいとらんぼうに引っ張った。いつもだったら、叱られたらすぐに、やめるのに。
 わたしは結構――順平くんとかと、比べたら――言うことを聞いてもらえる方だと思っていたけれど、なぜか今日ばかりは話が違うようだった。怖い顔をしているわけでもないから、なにかわたしに腹を立てている、というのでは、ないみたいだけど。ただ、離してもらえる気配だけは、いっこうにしなかった。
 
「うう……こ、困ったなあ……」

 もっとも、それがどこまでって、わたしが寮のラウンジにたどり着くまでだなんて、わたしはそのときちっとも、予想していなかったのだけれど。



「わっ、ふ、風花! あ……その、おかえり! っていうか、あれ、コロマルも一緒だったんだ?」
「う、うん……一緒、っていうのかな……その、ただいま」
「ワフッ」

 しかしてラウンジに着いたら、ちょっと延びてしまったわたしのスカートを何の未練も残さずに離してしまったあげく、自分はとっとと外へ戻っていってしまったのだから、コロちゃんときたら冷たいと思った。だって、このままじゃ。
 わたしはそうっと、もちろんできるだけ下向き加減にラウンジの中の方へ目を移したのだが、それはなんというか、ただの、無駄な努力になってしまった。公子ちゃんはよく気がつく子だって、わたし、ちゃんと知っていたはずなのに、なんで失念しちゃったかな。
 そうじゃなかったらきっと、ちょうどコートをかけてくれようとして近づいてきていたあなたと、うっかり目線がかち合って、ふたりして硬直するなんておかしなことには、ならなかった、はずなのに。

「あーっと、その……そう! 外寒かったでしょ、風花! こっち、えーっと、ストーブね、ストーブ、あったかいよー、ホカホカですよー、冬のお供といったら、やっぱりこれですよー」
「う、うん……」

 公子ちゃん、なんだか、時価ネットたなかの社長さんみたいになっちゃってる。そう思うとちょっと面白かったけれど、笑うのは不謹慎だとも思った。公子ちゃんはたぶん、いっぱいいっぱいなのだ。突然帰ってきてごめんね、事前に連絡入れるからって、言ったのにね。
 それでもすすめてくれたストーブの前まで、コートを脱ぎつつ向かうと、いつもきちんとしている公子ちゃんには珍しいくらい机の上には雑誌が散乱していて、なんだかそれが少し、目に付いた。そんなわたしに気づいたからか、公子ちゃんはあわてたようにそれを拾い集める。
 なんだかね、どれも読み飽きちゃって。順平くんが集めているマンガ雑誌から、ゆかりちゃんのファッション雑誌、そして真田先輩が残していったスポーツ雑誌まで多種多様に揃っている。もしかしてずっと、ここで雑誌、読んでたのかな。公子ちゃんのことだから、出かける宛がないなんてことは、なかったろうに。
 ああ――ええと、そう、そうだ。そう、だっけ。

「あれ……どうしたの、風花? あっ、えっと、体冷えてるよね? なんか、あったかいもの、とか……」
「ん……ううん。ううん、いいの、公子ちゃん」

 でもそう思ってやっと、わたしは、自分がすこし半端な勘違いをしていたということに気がついたのだ。そうだ、別に、ふたりだからって、ふたりでいなくてもいいのだ。それが心配でふらふらしていたけれど、思うにそんなふうにして、公子ちゃんしか頭にないのは、わたしのほう、だけで。
 だから、いいのだ。わたしはべつに、ここにいても、いなくても、どっちでもいいようなことなのだ。公子ちゃんにとっては、きっとそう。だからわたしがいちいち逃げ出しているのは、ええと、なんでなんだろうね、ごめんなさい、わからない。わからないけど、はっきりしていることが、ひとつだけある。
 
「わたし、部屋に、」

 ここにいるのがわたしでなければ、公子ちゃんはきっとたのしいこともあるのだろうって、そういうこと、が。

「……いっちゃう、の?」

 そういうことが、ぴしりとちいさな音を、たとえば今公子ちゃんがこぼしたことばのようにちいさな音を立てて、ひびわれた。


 あ、しまった、っていうのが、最初に思い浮かんだ。いつって、公子ちゃんの顔を見たときだ。言い換えよう、つまりそのとき、わたしの頭からは、いつも感じている視線がかち合うときの気まずさのようなものが、ぽっかりと抜け落ちてしまっていた。ぱちり。ぱちり。長くて綺麗な睫を揺らして、公子ちゃんは二つまばたきをする。わたしもたぶん、同じだけ。
 そしてそのぶんだけ、わたしたちは、見つめ合っていた。わたしは歩きだそうとしたかっこうのまま、公子ちゃんは座ろうとしたかっこうのまま。ふたりとも、ちょっとおかしなかっこうのまま。えっと。えっと。口の中でつぶやいた公子ちゃんのほっぺたが、いつも清廉な光を放つ瞳と同じか、もうすこしだけ優しい色に、ふっと染まる。

「……ここに、」
「え?」
「風花に、ここに、いてほしいな」

 そのひとことはわたしの膝から体からすっかりと力を奪い取って、わたしの行き着く先はというと、もちろん、ラウンジのソファだった。もっと言えば、そう、公子ちゃんのぶんだけ沈んだのがわかるくらい、彼女のすぐ、近く。
 ストーブの回る鈍い音。ほら、これもまた、沈黙を加速させる。だけどどうしてだろう、ポロニアンモールで感じたものよりもずっとずっと、それはどことなしにあたたかいのだ。もしかするとわたしは、このあたたかさが、とても――とても、好きで。どうしたってそんなことはわたしの頭を過ぎって、わたしはいつもそれが独りよがりだと思っていた。
 思っていた、けれど。

「その……さ。私、なんていうか……風花の前だと、なんか、あんまり、上手に話せなく、なるんだけど」
「……うん」

 ああ、こんなのは、どれほどみんなを、びっくりさせてしまうことだろう。
 耳からしろさがまぶしい首もとあたりまで真っ赤になってしまった公子ちゃんは、ぽつりぽつりとつっかかりながら、弱々しい声をどうにか絞り出していた。とても、とても、めずらしいことだった。でも、めずらしいままであったらいい。なんとなく、そんなことを考える。これがめずらしいままであったらいい。これが、どこにでも見られるようなものでなかったら、いいのに。
 ふ、と息を詰めるようなあいだ黙った公子ちゃんは、膝の上で血が止まるほど握り合わせていた手を、ゆっくりとほどいた。ほんの一年前まで長刀を振り回していたのが嘘みたいに、女の子らしくて、わたしのそれよりかいくぶん大きい公子ちゃんの手が、彼女自身の膝の上からおりる。おりた先に、わたしの手も、ある。

「でも、えーっと……そう、その、やっと、やっと帰ってきてくれたの、うれしかった、から」
「うん」

 さいしょに触れたのは、薬指。それで全身がとくんと跳ねたのは、それが心臓といちばん近い指だったから、だろうか。公子ちゃんの手は、今の今まで暖房の効いた室内にいたと思えないほどに冷たかった。と、とん。ためらうように、同じ指が。指先が、爪の先が、ふれる。ふれる。
 わたしの中指と薬指の間、そっとすべりこんできたとき、だけどきっとそれは、ふるえていたね。わたしは思わずそれで、公子ちゃんの方を伺った。すらりと綺麗なラインを描く顎が見えたけど、それきり。彼女は前だけをまっすぐまっすぐと見つめていた、まるでそれしかないみたいに。それにすがりつくみたいに。
 たまにちょっとだけ間違えながら、止まりながら、ためらいながら、だけどたしかに一歩ずつ歩み寄るように、わたしと公子ちゃんの体温が、近く、近く、なっていく。彼女の胸が少し大きく上下した。細く震えた息が吐き出されるのを、聞いた。

「ちょっとでいいから。あと、ちょっとでいいから、さ。いっしょに、いて、ほしいな」

 手が、重なった。
 握りかえすのだってうまくいかなかったし、公子ちゃんの手はとても冷たかったけれど、その何倍も、何倍も、あたたかかった。わたしの、きっととても大切な深い深いどこかが、とても、あたたかかった。
 きっと――きっとわたしは、ううん、わたしたちは、不安で。ただ、不安で。だからどんな表情でいたらいいか、なにを話したらいいか、どんな声を届けたらいいかだって、わからなくなってしまって。そのままでいると、不安のほうばかりが膨らんで、膨らんで、大きくなってしまうけれど。
 でもほんとは、その不安のベクトルの分だけか、もしくはそれ以上に、あなたのことを、想っている、から。

「……あのね、公子ちゃん」
「う、うん?」

 だからわたしたち、もう少しだけ、話をしよう。沈黙の時間も、あなたとならすきです、だいすきです。それからわたしは、なにかを伝えるのが、とても、とても、へたくそです。だけど話を、縮こまりそうな喉からことばを絞り出して、話を、しよう。
 そうして、もしもわたしがどうにかがんばって、一緒にいたいんだ、その時間が大切なんだって、それをちゃんと、たとえば今重なった体温のように、伝えあえたなら。

「わたしも、」

 きっと明日から、むしろ一秒後から、しあわせな時間。

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