発光少女時速80キロ




 つきあいが長くなると、決まりきったやりとり、みたいなものがかならずできてくると思う。そのほとんどに内容なんてもの在りはしないし、言ってみればすごくすごくくだらないのだけれど、どういうわけか、それを繰り返さないと、始まらない気がしてしまうのだ。
 もっとも、わたしと彼女の間で、そう劇的になにかが始まったり終わったりしている、というわけでも、ないのだろうが。

『そういうわけで。お昼ぐらいからちょっと、つきあってほしいんだよねえ』
「……今わたし宇宙にいるんだけど、って言ったら、あなた、どうするつもりだったの」
『あはは、どうしよっかなあ。それはこまるね』

 それにしたってマミときたら、しおらしい言葉のなんて似合わないことだろう。まったくもって、電波を通じて相手の頬をつねる方法の開発が待たれる。そもそも、彼女が本気でこまったことなんて、はたしてあるのだろうか。とんでもないことを考えていると自分でもわかっているけれど、否定する確かな何かがほとんど浮かばないのが、それこそこまりものだった。
 だいたいにして、どうやって確認しているのだかは知らない(し、知らない方がいい気もする)が、きっと今日も彼女はわたしの予定なんて確認済みなのだ。そうでなければこうして突然の連絡を入れてくるなんてことがあるわけもない。そしてわたしの足はものの見事に、夏のにおいが色濃くなってきた海明星の地面にぴたりとくっついているのだった。じつに、じつに、しゃくなことに。
 電話口の向こうでマミはもう一度要望を繰り返す。ね、どうかな、チアキちゃん。ちゃんじゃないってのに。そのくせせっつくような調子がちっとも出てこない。だから、きっと、断ったら断ったでああそうなんてなんでもない調子の一言が返ってくるのだ。そんな一言は聞いたこともないくせに、導くためのステップを踏んだこともないくせに、びっくりするほど鮮明なイメージがうかぶ。
 でもやっぱり、今日もわたしはそれを聞かないのだろう。だってこうしてため息をついているうちにも、喉元にはもう次の言葉が引っかかっているのだから。

「……報酬は?」
『チョコパフェ一杯、おごりまーす』

 そうして今日も、定型のやりとり。ラインの上をなぞるように。バイト自体はとうにやめてしまったというのに、未だにランプ館の無限割引券のような彼女。つめたくて甘ったるいものたちに、いつまで経っても飽きがこないわたし。
 せめて言われた待ち合わせ場所には彼女よりも早く着いてやって、呼び出しておきながら来るのがおそいって、文句のひとつでも言ってやろうかしら。今日の天気の良さと同じくらいにはばかばかしい思いつきを、歩き出しの一歩目で踏みつぶした。



「お弁当を食べるのに、つきあって欲しいのね」
「はぁ?」

 うららかな日和のもと、道ばたのベンチにて。あたらしいデザインを考えているとどうしても引きこもりっぱなしになる、といつか苦笑したことのある彼女は、なめらかな色の両手足をぞんぶんに伸ばしたかっこうで、そんなことを言った。
 うーんと鼻から息を抜いて、ぱたり。それからこっちをうかがうように見上げる。お世辞にもあまり目つきのよい方とは言えないわたしと対照的に、びいだまのような瞳が、栗色の髪の隙間からのぞいていた。出会った頃よりは少し伸びただろうか。一度髪の話を振ったときに、そうチアキちゃんの名前と同じ色なの、という手ひどい一言をいただいて以来、わたしは彼女の前で髪の話題を出したことがない。
 いや、お弁当の話だった。言ったとおりに、彼女の手にはバスケットが握られていた。そしてサイズから予想するに、ひとりぶんでは、ない。なんだかひどくいやな予感が頭をかすめる。なにがいやって、こういうときの虫の知らせみたいなものは、たいがい驚くほど正しいのだ。宇宙でもよく言われている、ジンクスみたいなものである。

「ほらほら、結構うまくできたんだよ」

 わたしが顔をしかめているのなんてもはや日常茶飯事ということになっているのか(頭にはくるが、特に言い返せるようなことでもなかった)、いやな予感が満載なわたしの視線をさらりといなして、彼女はバスケットを開けた。二人分のカップと水筒、そしてレタスの色もまだみずみずしいサンドイッチが、顔をのぞかせる。手先が器用というのはなにかとずるい。それなりに空腹、程度のくせに声を上げそうになったからだが、うらめしい。
 ところで、もしかしなくても、片手でだって食べられるってとこがミソなのかしら。たとえばいつでも連絡が飛び込んだってかまわないように、なんてね。どうやらよりによって自分でいやな予感の裏付けを見つけてしまったようなのだけれど、いまさら頭を抱えても遅い。はいあーんだなんてとんでもないことを言ってくる彼女を無視して、手から奪い取ったそいつに、できるだけ乱暴にかぶりついてやる。

「どう、おいし?」
「まあまあ」

 まあまあとさいこうの間にはいったいどのくらいの差があったっけか。考えない方がいいことをいちいち考えるこの頭が、ほんとは一番、うらめしい。
 ハムカツの衣が頬の裏あたりをざくざく擦れるのをよそに、ごく自然な所作で差し出されたお茶でそいつを一気に流し込む。味覚器官あたりがもったいないと悲鳴を上げるけれど、うるさい、ちょっとおだまり。今はピンクの肉の話より、ピンクの頭の話をしなければならないのだ。
 いや、そりゃあ、しないで済むならそれが一番だけど、まったくもってうらめしいことに、わたしの頭は、どうもそういうふうにできていないらしくて。

「それで?」
「うん?」
「それで、どこぞの船長さんは、いったいなんの緊急連絡が入って、こんなにまあまあのサンドイッチを食べ損ねたのかしら」

 できることならこのうらめしくてめんどくさいなにがしかを、半分くらい分けてやりたいあいつは、それで、いったいどんな顔をして、宇宙を飛んでいるのかしら。
 彼女は、マミは、とくに驚いたということもなく、不意をつかれたというふうでもなく、そうだねえ、とたまごサンドの端っこをくわえる。

「チアキちゃん、こんなにまあまあって、なんか変じゃない?」

 そして、それだけ言った。
 非常に残念なことに、それだけ、が、正確な答えだった。

「……あなたって、」

 これだからいやな予感というやつはいやなのだ。弁天丸船長どのには今度いやというほど甘いもの巡りにでもつきあってもらおうか。そのくらいしないとなんだか気がすまない。つまり、有り体にえば、腹が立っていたので、とても、八つ当たりがしたかった。自分に腹が立っている時というのは、たいていそういうものだ。
 ああ本当に腹が立つ。日が当たっているというのでなくわたしの頭から陽炎が出ていたように見えたとしたなら、それはまるきり見間違いというわけでもないのだ。それなりに長い時間と、たっぷりの視線と。それで定型句も鮮明なイメージも予感も手に入れたつもりなのに、確信だけが生まれない。はっきりした像が、このめんどうなほど整理されているはずの頭の中に、どうしても生まれない。

「あなたって、ほんと――さいこうに、いい女よね」

 そのたったひとことくらいしか、このいちいち腹立たしい女について、思いつく言葉がみつからない。
 チアキちゃん、チアキちゃん、そんな苦虫かみつぶしたみたいな顔で言われても、ぜんぜんほめられてる気、しないよ。とてもおかしそうに笑った彼女が言うので、鼻を鳴らしてやった。そりゃそうだ、わたしはまるきりほめているつもりなんてないのだから。ただとにかく、いらついているのだから。いつまでもぼやけた像が眩しくて、眩しくて眩しくて、腹が立っているのだから。
 おでかけの約束はいつ頃から取り付けたものだったのかしら、きっとおおいに周到な準備が行われていたに違いない。そうはいっても、あの船長が抱えている責務と彼女は切れている。どこまでもきっちりと切れているし、切ってある。だから恐らくは朝早くから準備したであろうすてきなお弁当も、お出かけするには上々な天候も、もはや宇宙に出て行ったキャプテン茉莉香には関係のないことなのだ。
 そういうふうに、してあるのだ――ああ、もう、あんまり底なしにきらきらしやがって、腹が立つったら!

「……こんなにまあまあ、だから、ここで食べきってしまうのは、もったいないわね」
「だからそれって……あれ、どしたの、チアキちゃん?」
「移動するの。つきあったんだから、つきあってもらうわよ」

 手を取ったのはわたしなりの必殺技だったけれど、この底なし女を、どのくらいいっぱいにできたかは、ちょっとわからない。
 ハムカツの、きっとやつの好みであろう、甘すぎるほど果物の風味がいっぱいなソースの味がかすかに残る頬。そのあたりにじわりと集まってしまった熱が、振り返ることをよしとしなかった、ので。



「わー、わー、なにこれ、かっこいい! チアキちゃん、いつバイクなんて乗れるようになったの?」
「あなたが知らない間。いいからとっととこれ被って、後ろ乗って」
「おおっ、予備ヘル? に、しては、なんかかわいーね、これ?」
「そっちが似合うと思ったのよ」
「似合う?」
「あんたに」

 必殺技は諸刃の剣も良いところらしいと、いいかげんヘルメットを放る手もふるえてきそうな気分で思ったわけだが、今度はぽかんとした顔が見られた。ので、よし。もはや自分でもいったいなにと戦っているのだかよくわからなくなってきたが、とりあえず、よし。そう、だって、いつまでもこっちばかりいらいらさせられるなんて、割に合わないじゃない、そうでしょう。
 なにか言いたそうな顔をしたものの、このいい女ときたら隙の見せ方の案配まで絶妙らしく、小さく笑っただけでヘルメットを被るマミだった。チアキちゃんとヘルメットってちょう似合うよね。そのくせそういうことはしっかり言ってくるのだから、これはよくない。とっとと次のステップに入った方が良さそうだ。
 気まぐれでなのか、計画的になのか、自分でもあまりはっきりしないままカードを切ったバイクに跨がって、エンジンをかける。決め手がタンデムシートの乗り心地だったので、後者の可能性が限りなく高いことは、とりあえず無視して。マミのつかまり方がおおむねひとをぎくりとさせるものであることくらいは、想定の範囲内だ。

「チアキちゃーん、耳、あかーい」
「……飛ばすから!」

 範囲内、だ!

 言うとおりに飛ばしてやった。わたしの運転能力をぎりぎり、本当にぎりぎり振り切らない程度には。そういったことのすべてはなかば仕返しめいていて、つまりはぶかっこうな意地だった。かわいらしい悲鳴の一つでも聞けたら、それはそれでおもしろそうだ。ひっくり返りそうなくらいたのしいことを考える。
 エンジンと風が耳元でごうごうと無骨な呻りを上げていた。空気の中に、わたしと同じく往生際悪く残った春のつめたさが、背中にしっとりとからみつく体温をあざやかにしていく。もっと早く季節なんて動いてしまえばいいのに。むちゃな追い越しを繰り返して、景色はあっという間に町のはずれ。ガードレールのふちをタイヤでなぞるように、急カーブを曲がる。

「ふ……あはっ、あははははは!」
「なに!? 口閉じてないと、舌噛むわよ!」
「いいよー、そしたらチアキちゃんが、舐めて治してよねー!!」
「はぁ!?」

 だんだんと舗装が怪しくなってきた道路で、車体は一度大きく、それこそ宇宙まででも飛んでいくんじゃないかってくらい、飛び跳ねて。荷台でがっちゃんと揺れたバスケット、腰に無遠慮に抱きついてくる腕のなめらかな熱、夏の匂い、夏の、匂い。
 まったくこの女ときたら、どこまで底なしなのかは知らないが。とりあえずそうやってわたしの背中にじゃれついて、きゃあきゃあ笑っている限りは、わたしの頬のあたりがむずがゆいことには、さすがに、気がつくまい。
 あんたはそう、わたしの、しかめつらしい顔だけでもおぼえてればいいのよ。そういうのはなかなか悪くない、思っているうちに、海が見えた。


「うわーもうひどい、これはひどい。めちゃくちゃ揺らしてたもんねえ、チアキちゃん」
「別に、ちょっとくらい形が崩れたって……味は変わらないでしょ、おいしいものはおいしいわよ」
「あ、今おいしいっていった? やっぱりおいしかった?」
「ま・あ・ま・あ・ね!」

 ちくしょう、それにしたってこの女ときたら気が抜けなさすぎる。案の定崩れきったサンドイッチを海岸の岩で広げながら、うかつな自分に舌打ちを禁じ得ない気分だった。茉莉香のもつ天性の駆け引きの才は、もしかすると彼女の前でこそ遺憾なく発揮されるべきなのかもしれなかった。もっとも本当にそうなった場合でも、どちらが有利なのだかあまり想像がつかないのが、彼女の恐ろしいところではあったが。
 そして今度もあーんなどとふざけたことを繰り返してくるマミだった。応じてやったら少しくらいはびっくりするかしらと思って、思った通りにやってみたのはさすがに間違いだったのかもしれない。彼女の想像をこえる、というのは、だから、わたしにとっても、諸刃の剣なのであって。小指にくっついたソースを舐めとる仕草がみょうになまめかしいのは、わざとか、わざとなのか、こいつ。
 くすくす笑うマミを横目にもみないで、まあまあとりあえずさいこうにおいしいサンドイッチを、あとは無言で片づけた。時期としてはまだ少し早すぎる海には他に人影はいなくて、ただロマンチックだねとつぶやいたマミの言葉は、多分に悪い冗談だった。笑ってやれるほどの心の広さは持ち合わせていないけれど、特にそこを期待されているということもないのだろう。

「あ。ね、この貝、なんか弁天丸に似てない?」
「……紅色で、尖ってるとこ?」
「そ、そ。よーし、キャプテン茉莉香と弁天丸、しゅっこー!」

 ただそういう悪い冗談を飛ばす程度には、はしゃいでいるようにも、見えて。マミは手に持った貝をぷかりと波に押し出した。チアキちゃんもバルバルーサを出航させようよと言ってくるあたり、やっぱりはしゃいでいる。
 それにそのまま乗ってやるというのもしゃくだったので、ちょうどそばにあった桜色のちいさな貝を、岩のうえにぺっと置いた。できるだけ乱暴に投げるように置いた。

「……うん? なに?」
「港」

 マミの小指の爪は、多分、こういう色をしている。考えない方がいいことが、だけどしっかり頭をかすめた、きっと、さっきのひとくちのせいだ。わかっているのか、わかっていないのか、わからないし、できればわかりたくもない表情でふうんと言った彼女とわたし、の、目の前で。
 ――ざあと大きな音をたててやってきた、突然の大波で、気がつけば小さな弁天丸は、ものの見事な転覆をきめていて。

「……ぶっ」
「ふ、くっ……あはっ、あはははは! もー、なに、これ!! ははっ、あはははは!」
「ち、ちょっともう、背中叩かないで……っ、ふ、あははははは!」

 なんかもう、わけわかんないくらい、笑えた。
 しかも悪いことと同様におかしいことも続いてやってくるものらしい。なにって、マミの携帯だ。涙を拭いながらどうにかそれを取り出した彼女は、着信先を見てさらにお腹を抱えてしまって。だからなのか、とても出られるような状態じゃなかったからなのか、通話ボタンを押したくせに、それをわたしに押しつけてきてしまって。

「ぷ、くっ、ふふふ……も、もしもし?」
『もしも……て、あれ、チアキちゃん? え、なんで? あれ、あたし間違えた?』
「ええ、そう、そうね、大間違いね……っ、あはははは!」
『う、うん……? チアキちゃん、チアキちゃーん? なんか悪いものでも食べた……?』

「ええ、おかげさまで、もうお腹いっぱいよ!」

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