そのときにわたしに下された命令はたったひとつ。
 振り向かないこと、だ。
「……大淀?」
 呼びかけても、帰ってくるのはふるえた沈黙ばかりだった。
 それがふるえているように感じられるのは、たとえ声は発せられなくとも背中のあたりでふっと息を詰めた彼女のかすかなうごきが伝わってしまったからなのか、それとも、わたしのお腹のあたりできゅっと服を握りしめている彼女の手が、力の入りすぎで震えているのがわかったからなのか。どちらなのかはわからなかった。どちらものふるえが、ぴくりとも動けないわたしの背筋をひりひりさせていたことは、ただひとつ間違いがないけれど。
 大淀は何も言わない。わたしの背中の真ん中すこし上あたりに額を押し付けたまま、抱きつくというにはあまりに控えめにわたしの身体へ細い腕を回したまま、彼女はじっと黙っている。
 わたしはもちろん作業着のままで、防護の意味もやや兼ねているそれの布地は、彼女の細っこい指先で握りしめるにはきっとあまりに硬質だ。彼女はわたしを抱きしめられてはいないのに、指先を赤くした手に握られて寄ったしわばかりが、やけに切実だった。大淀は、何も言わない。わずかにふるえ続ける沈黙が、鉄臭い匂いの薄く漂う深夜の工廠内を支配する。
「あの」
「だ、だめ」
 沈黙が破られたのは、わたしが規則を破りかけたから。
「う、」
「……ごめんなさい。でも」
 どうか、振り向かないでください、と。
 入ってきたときと同じことを、入ってきたときよりずいぶん掠れた声で、大淀はもう一度口にした。
 作業中だった。ついさっきまでの話だ。要するに、大淀がここに入ってくるまでのこと。時刻は時計を見ていなかったからよくわからないけれど多分〇三〇〇を回ったあたりで、まあそろそろ寝たほうがいいかなぁ、というのと、いやいやでももう少しだけ、というのとを天秤にかけると、わたしにとってはまだやや右に傾いてしまう程度の時間帯だった。
 もともと作業に熱中していると寝食を忘れがちになるくせがあったけれど、それがここのところ悪化の一途をたどっていたのは、残念ながら自他共に認めているところだ。けれど母港内の皆さんの総意としては、まあ仕方なかろう、という容認がどちらかというと多くて、それは多分にわたしの念願がつい先日ようやく叶ったところであるのを慮っていただけているのだろう。なにしろ、ずいぶん前から夢見ていた〈改修工廠〉の設置が、ようやく正式に中央から認められたのだ。艦娘たちが身に着ける艤装を修理するようになってからしばらく、そのたびごとにこっそり改良を加えていたのが、やっと大手を振ってできるようになったのである。
 ここに来るまではとても長かったし、自分でもちょっと思い出せないくらい多くの嘆願書や申請書を何度も何度も提出した。中央の重い腰を上げてもらうには正しい手順が必要です、とわたしに教えてくれたのは、最も中央とのやり取りを頻繁に行っている大淀だ。設計図や資料ならまだしも、公式な書類となるとあの硬い文章を目で追った瞬間頭の痛くなるわたしを、大淀はずっと助けてくれた。だからこそやっとのことで〈改修工廠〉が完成した際には彼女もすごく喜んでくれたし、工廠に数日単位で入り浸ったまま子どもじみて作業に没頭するわたしに、苦笑しつつも簡単に食べられるものを差し入れてくれたりしたんだろうと思っていたけれど。
 でも、今夜工廠の扉を開けて現れた大淀は、なんだかようすがおかしかった。
 書く文字から姿勢、それから言葉遣いまで、いつも隅々まできちんとしている彼女は、たとえば部屋に出入りするときだって、綺麗に一礼をする。大淀は場所に対してきちんと敬意を払ってくれるひとだ。
 けれど、その彼女が、今日は頭を下げてからちゃんと顔を上げるまでのあいだ待たなかった。待たずに、やけに早足で、工廠内へと足を踏み入れてしまったのだ。なんだかおかしい、とわずかでも気づいたのはこのとき。
「大淀? こんな時間にどうしたんですか」背中をぎゅっと丸めたまま早足で近づいてくる彼女はわたしの呼びかけにも答えず、そうしてわたしの前に立った。顔も上げないままの彼女は、なぜだか両手ばかりをずいぶん強く握り合わせていたみたいで、胸の前あたりで組まれた指先が何べんも落ち着かなさそうに組み替えられるのを、わたしはぼけっと不思議な気持ちで見ていた。
 そういえばここのところわたし、作業台につきっきりか、床で死んだように眠っているかのほぼ二択でしたので。こうやって大淀と向き合うの、実はちょっと久しぶりですねえ、なんて。そんなことを考えながら、ぼけっとしていた。
「明石。……むこう、を」
「はい?」
「むこうを、向いてください」
 ぼけっとしていたのを通り越して、とうとうぽかんとしていたのが、つまり、そのときのわたしだ。
「むこう? って、こっちですか?」しかし虚をつかれてほぼ停止した思考はなんのためらいもなく言われたとおりに身体へ命令を下してしまって、わたしはほとんど無抵抗に、大淀が指した通りの方向をふらりと向いた。目に入ったのは開発工廠や建造工廠よりかはやや狭いけれど、それでもわたしの立派な城である改修工廠の中だ。早くも見慣れてきた作業台、倉庫から少しずつ運んできてもらった資材の山、ついさっきまで弄り回していた単装砲。
「……そのまま、」
 でもこれだと大淀に背中を向けるかたちになってしまっているのですけれど、と。
 申し上げるのも振り向くのも、残念ながら遅すぎた。
「そのまま、どうか、振り向かないでください」
「へっ?」
 それよりも先に、背中に与えられたとん、というごくごくかすかな、羽のような衝撃が。脇からこわごわと回されてきた手が、そうっとわたしの服を握る感触が。あまりに弱々しかったそれらが、びっくりするほど簡単に、わたしの身体の自由を奪ってしまった。
「……おー、よど?」
「……っ」
 それきりずっと、大淀はわたしの背中にひたりと身体を寄せたまま、ふるえた呼吸を繰り返している。
 一定でない呼吸のリズムに合わせて上下する彼女のからだ。わたしの背中をじれったいほどかすかに刺激していくそれに、なんだかやけにどきどきする。本当に、かすかな感触なのに。仕事にばかり熱中していたここ数日、片手間に彼女と話すことはあっても、まともに向き合う機会はそんなになかった。――ましてや、触れ合うことなんて。
 脇から腕を回されているせいで、奇妙に持ち上がったまま行き場がなくなっていたわたしの手が、びくりと勝手にうごめく。背中の彼女にばれないようにおそるおそるひとりで握りしめて、開くと、手のひらからじわりと熱が放たれる感触があった。彼女が息を吸うたびにそうっと触れては離れていくかすかな温度でも、あたためられるにはきっと十分すぎる。大淀はまだ黙りこくっている。かさ、とほんの少しばかり布地の擦れる音がしたのは、最初本当にかすかだった彼女のわたしを抱く腕にちょっとくらい力のこめられたことの証明だったのか、どうだったのか。
 触れ合うことなんてここのところずっとなかった、わたしにとって。背中の彼女が与えてくるあまりにもわずかな刺激は、弱すぎるところがいっそ凶悪だ。
「大淀。……ねえ」再び握って、そして開いた手は、もうこんなにも熱を求めている。
 ねえ大淀、せめて、ちゃんと顔、見せてくれませんか。それからよければちょっとだけ、抱きしめさせて、くれませんか。それはまあほったらかしにしていたのはわたしのほうですし、だとすればいったいどのツラ下げてそんなことをと言われたらそれまでなんですけれども。だったらわたしの顔なんて見なくてもいいですから、見せないように、すっぽり覆ってあげますから、あの、ちょっとでいいので、だめですか。
 ねえ大淀、久しぶりなのに、そんなふうに後ろから弱く弱く抱きしめられているばかりでは、わたし、もう。
「っ、だめ、です。お願いですから、振り向かないで、明石」
 なのに背中の彼女は、あくまでも首を振る。
「だ、大丈夫、ですから」
「……大丈夫?」
 なんだかやけに早口で発せられたそれをわたしが思わずなぞると、もしかして失言だったのか、大淀は一瞬うっと喉を詰まらせた。けれどすぐに観念してしまったのか、同じ言葉が、もう一度繰り返される。「……はい。大丈夫、ですから」
 大丈夫って、何が、ですか。
 そう聞けなかったのは、今度こそ、ちゃんと。本当にちゃんと、抱きしめてくれた腕が、背中に押し当てられていた額が、そっと息を詰めてはりつめたからだが、触れてくれたからだ。背中にすっぽりと埋められた鼻先、くぐもった声が、ごくごくちいさく続きを呟く。きっと聞かせるつもりなんて、ほとんどなかったみたいに。
「これで。……がまん、できます、から」
 これで。これだけで、と。
 いつもきちんとしていて、自分を律するのがとても上手な彼女は、ふるえた声で、いうけれど。
「そうですか?」
「え、」
 けれどわたしたちというのはたいていすこし与えられると、わずかでも注がれると自分がひどく渇いていたことを一気に思い出してしまうような、そういう貪欲な生き物で、わたしだってその例には漏れない。素直に命令を聞いてあげられる忠実な獣のようであればよかったのかもしれないけれど、残念ながら、わたしはそうではないから。
 あなたによってだけ呼び覚まされる凶暴さが、ほら、牙を剥く。
「わたしはこれだけじゃ、全然、がまんできませんけど」
 とうとう振り向いて、まともに見つめてしまった大淀は瞳をぐらんぐらんに揺らした真っ赤な顔をしていて、あなた、ひとが飢えているときにどうしてそうかわいい顔をみせてしまうんですか、と、なんだか笑える気分になった。


 これを言ったらきっと彼女の機嫌をいたく損ねることは間違いないし、そんな彼女の名誉のためにというよりかはわたし自身の独占欲のために必ず黙っておこうと決めていることがひとつある。上品さのかけらもない素直な言い方をすれば、要するに彼女とするキスに関してのことだ。
 端的に言って大淀は、最中に息継ぎをするのが、とてもへたなのでした。
「は……、ま、待っ、明石、……ッ、ふ」
 多分に生真面目な性格が関係しているのか、目もぎゅっと瞑ったままけっして開けない(正直に申し上げますとわたしはときどき目を開けてちょっと覗きます、いっぱいいっぱいな顔がほんとうにかわいくて、そのたび叱られますけどやめられません)彼女は、同じくらい真面目に、ぴったり息を止めてしまう。呼吸はしていても大丈夫ですから、と再三申し上げてはいるのだけれど、賢い彼女にしては珍しく、何度同じことをわたしが言ってもいっこうに学習してくれない。
「は、はぁ…ッん、あかっ、明石、まって、……は、ふ、んん、っ」
 だからわたしにもすこしだけ、まああるなんていうと語弊がありそうなくらいのミジンコ程度の余裕がそれでもぎりぎり、ぎりぎり残っているときは、苦しそうにしている大淀を休ませてあげて、浅い呼吸の背中を撫でてやったりもする。大丈夫、大丈夫、落ち着いてからでかまいませんよなんて、自分の方は全然落ち着いてない心臓をばっくばく言わせながら、ほんの数秒くらいのおあずけ状態を甘んじて受け入れることだって、一応あるのだ。
 ――とはいえそれは、先ほども申し上げましたとおりミジンコ程度の余裕が残っているときのハナシ、でして。
「んっく、ふ……っ、ぁ…」
「ッはぁ、……すみません、大淀」
 酸素不足はとうとう彼女の膝を突き崩した。くたりと力なく寄りかかってきた華奢な身体を支えたわたしは、わたしでもびっくりするくらい低く抑えられた声で、彼女の耳元に囁きかける。せめてそこくらいは優しくあるように、なるたけ丁寧に床へ座り込みながら、立て膝で座った足のあいだに彼女の身体をこっそり閉じ込めながら。「あか、し……?」
「今日は、待ってあげられそうにない、です」
 びっくりするくらい低く低く、恥じらいのない言い方をすればがっついた声でごめんなさいなんて繰り返しながら、まだちっとも整っていやしなかった呼吸のために開かれていた唇にあっさり自分のモノを差し入れていくんだから、なんてひどいやつだと思う。「んふ、ん、ンーッ…!」そのくせふる、と強張った上唇を執拗に食んで、やわらかい、とかおいしい、とかそんなことであっという間に頭がいっぱいになるのだから、ひどいというか、どうしようもない。
 けほっと軽く咳き込んだ大淀は、わたしがさっきから息もつかせないで食べてばかりるせいで咥内も唇のあたりもすっかりとろとろで、ふは、とたまらず少し大きく開かれたのと同時に唇と唇のあいだ、一本だけ静かに引っ張られた糸がとても淫靡な光を放つ。くずおれるようにわたしへ身体を預けてしまっている彼女は、覆いかぶさるわたしからどうやっても逃れられない。触れ合うたびにびくりと強張る、彼女のちょっとちっちゃな舌を表面から裏から絡めて、ゆっくり解して、そうしてゆるくなった中に粘っこく混ぜ合わさった液体を流し込むと、おとがいを支えていた手の指先あたりで、細いのどがたしかにこっくりと動いたような気がした。
「は、ぁ……っちょ、あ、明石」
「はい」
 それでも、制服のネクタイが首を滑る感触だけであんなにとろんとしていた瞳に一気に光を取り戻せるのだから、あなたの理性ときたら本当に強靭だ。それはまあ、こんな時間に自分から会いに来て、おまけにちょっと謎の命令を下すくらいにはいっぱいいっぱいになってくれていたのに、わたしの背中だけで抑え込もうとする人ですからね、あなた。特別補佐艦及び艦隊指揮担当・軽巡洋艦大淀は、いつも、こんなときでも、本当にしっかりしているようです。なんて感心したようなことを考えつつも、引き抜いたネクタイを放って、制服の前を開けていく。
 最後に一枚残ったグレーのシャツのボタンに手を掛けると、ふら、と持ち上がった大淀の手がわたしの手首をゆるく握った。制止のつもり、ですよね、やっぱり。
「あの。あの、……こ、このあたりで、やめておきませんか」
 だとすれば手首に掛けたその指をぎゅ、ぎゅ、と揉むようにしてくるのはもしかして言い聞かせているつもりなのか、理性の光をしっかり灯したままだとはいってもまだたっぷり濡れたままの瞳で、困ったように眉根を寄せてじいっと見上げてくるのは、もしかして訴えかけているつもりなのでしょう、か。
 ――いえ、なんというか、あのですね、大淀。
「……ですから。先ほども、申し上げましたが」
「は、はい?」
「今日は、待ってあげられません」
 それ、全部逆効果、なんですが。
 素の力がどうでも、残念ながら現在優位に立てているのはわたしのほうだ。なんとかわたしを押しとどめようとしていた彼女の手はずいぶんとあっさり振り払うことができて、右手は外しかけのボタンに、左手は顔に。取り去った眼鏡はきちんと畳まれることもなくわたしの手から落ちていって、かちゃん、と床を叩いたその音は、とうとうむき出しになった彼女の痩せた肩を、ことのほか強くふるわせた。
 シャツの袖を我ながら強引に引っ張って、肘のあたりまで降ろしてしまう。やや薄く骨の浮いた体躯と、なだらかに張ったやわらかそうな皮膚。下着以外をみな取り払ってしまった、真夜中の作業場の明かりに照らしだされる、彼女の肌の白さ、に。
「っ、こんなところで、やめろなんて」
「あ、明石」
「無茶、いわないでください」
 どす黒い欲望が、悲鳴を上げる。
 口角が上がるのがわかったのでどうやらわたしは笑っていたようなのだけれど、だとすれば自分でもかなり見たくない、獰猛な笑みかただったのではないだろうか。
「ぁか、んむッ……!」執拗に咥内を貪ったのはそうしたいと思ったから素直に従ったというのが半分、そこから彼女を突き崩していこうと企んだのがもう半分だった。彼女と違ってわたしのほうはすっかり理性が本能に敗北しているというのに、頭はそういう悪賢いことをまだ考えていられるというのだから、ヒトとはずいぶんヨコシマな生き物だと思う、本当に。いえ、ヨコシマなのはわたしなんですけどね、この場合。
 せめて俯いて逃げようとする彼女の顎を片手で持ち上げては連れ戻して、口蓋のあたりにそりそり舌を押し付ける。そうすると身体が跳ねてしまうのを、彼女はもう服で隠せない。ぴ、ぴく、とかすかなふるえを押し隠しきれないからだを、もう片方の手で抱き寄せる。背筋のあたりを撫で上げてやると、引っかけられたままの袖で逆に自由を奪われた大淀の手が、わたしの脇のあたりで作業着ばかりをきゅうきゅう握りしめていた。彼女が工廠に入ってきたときから始まって、多分わたしの作業着は、もうだいぶくちゃくちゃだ。
「ふっ……ぁ、だめっ、」大淀が初めて苦しそうなやっとの息継ぎでない言葉を発したのは、顎から頬、頬からこめかみ、と撫でなぞっていったわたしの手が、とうとう彼女のよわいところ、に触れたから。
 耳、に触られるのが、大淀はあまり得意でない。特にこういうときは、いろいろな意味を含めて、得意でない。ひとをみてばかりいる、残念ながらあなたのことだったら特によくみてばかりいるわたしは、それをとてもよく知ってしまっている。付け根から縁をなぞって耳朶まで、親指の腹を押し付けるようになぞれば、大淀は必死に首を振って逃げようとする。「明石ッ、そ、だめ…っン!」でも逃がしてあげません、待っても、あげません。抵抗する力を徐々に失くしていっている彼女を呼びもどすのには、もう唇と舌だけで十分だ。
 親指と人差し指で擦って、少しつぶして、入り口のあたりをくすぐって。手触りのすこしつめたかったはずのちいさな耳が、どんどん真っ赤になっていく。全体を握りこむように覆って、裏に何度も指を這わせて。「はふ、ふーッ、ふー……っぁ、や、だめっ、あか、明石、っ!!」そのまま髪をかき分けて、かぶりつく。やっとわたしから解放されて息ができると思ったでしょうに、キスされていたときと今とどっちがまだましだったのか、聞いたらきっと叱られるに違いないけど。
「やぁ……そこ、っも、やめて、明石」
「ん……どうして、ですか?」
「だ、…んぁっ、だ、って、み、耳……っや、あッ」
 とてもとても話せるような状態ではないのに、言葉が継げない分いやいや、なんて首を振って拒絶を表明しようとするのは、もう真面目というか強情といってもいいかもしれない。
 甘い声が抑えきれないくらいには弱くて、舌先でちょっと入り口をくすぐるだけで背筋がびくびくするくらいには気持ちがいいんだろうに、それでも彼女はだめ、というのをやめない。
「ひゃ、」ちっともやめてくれない、ので。「だ、だめ、だめです明石、も……っ、く、んンッ!」
 もちろんわたしのほうだって、ここでやめてしまうわけにはいかない、のです。下着をずり上げてもぐりこませた手をふるんと包んだやわらかさにわたしはだいぶんくらくらして、でも、まだ崩れてはいけないからと、甘さにやられそうな頭を叩き起こす。まだわたしが崩れてしまうわけにはいかない。
 彼女のことを、崩してしまうまでは。
 こういうとき手がでかいとか筋張ってやたらごついとかいうのは案外と便利になったりもするもので、やや小ぶりでかわいらしい彼女の胸は、みんな覆ってゆすぶってしまうにはとてもちょうどよい。しかしサイズに関する話を大淀自身にしたことはないし、そういったことに悩む年頃の女の子らしい子たちが多い中でも彼女は全然気にするそぶりもみせていなかったと思うのだけれど、突然「明石も大きい方が好きなんですか」と蚊の鳴くような声で尋ねられたときは本当に驚いたものだ。
 なにが、というわたしの質問は残念ながらそのとき大淀の両手が彼女自身の胸にそっとあてられてしまっていたがゆえにまったく許されず、要するにわたしには彼女の質問にきちんと答える、という選択肢しか残されていなかったのだけれど、正しく答えられたかどうかはわかりません。だって最中にわたしが考えていることをこと細かに申し上げるわけにはもちろんいきませんでしたし(どこかのビックなセブンさんカッコながもんのほうカッコトジではないのですから明石にもきちんとこう、時と場所を弁えるという感覚なら備わっているのです)、そもそも、言葉で伝えられるようなことであったかが、もっとわからないのです。
「くふ、ぁっ、んんっ…あ、明石、っ……!」
 だってきっと、薄いふくらみが手に吸い付いてやわやわとつぶれていくのがとんでもなくキモチイイとか、ちっちゃな粒がちゃんと主張してさわって、さわってって教えてくれるのがすごくえっちでかわいいとか、わたしの指が、舌が、ちゃんとあいしていくたびにちゃんとあいされて、よがってくれるあなたがほんとうに、ほんとうに愛おしくてたまらないとか。そういうのって、きっと、こうやって触れて、触れているときにしか、伝えられないこと、でしょうから。
 でもあなたは、ああいうことをなんだか不安そうに訊ねてきてしまうようなあなたはどうやら、ときどき、ちょっとばかり、わたしがあなたのことをどれほどかわいいと思っているのか、どれほど愛おしいと思っているのかが、わかっていないような節が、あるので。
「ねえ、大淀」
「は……っ、え……?」
 ですから。
 どうぞ、がまんできますなんて、だめですなんていわないで。
 しっかりしてる、ちゃんとしてる、きれいなあなたなんてもう、やめてしまって。
「腰。ちょっと、上げていてくださいませんか?」
 ぜんぶぜんぶやめてしまって、ねえ、もっとわたしに、あなたを、愛させていただけないでしょうか。


 腰を上げて、と言われても彼女はきょとんとしていた。そのなんだか気の抜けてしまったような顔がやたらかわいくて、思わずくすくす笑いながら、わたしはこうですよ、とやや弛緩ぎみだった大淀の身体を脇から支えて、はい、と起こしてやる。床に座り込んだままのわたしのちょうど正面で、膝立ちになっていただいて、――はい、このまま。
「え……っ、む、無理、無理です、こんな、明石……ッ!!」
 顔の前でちょうど晒されていた胸のてっぺんの桃色を、そこばかり無邪気な犬みたいにぺろっと舐めてやると、後ろの方で、床についていた彼女の足の指先がきゅっと丸まったのがわかる。そんなに難しくないのに、今の大淀にとっては、たぶんとってもつらい姿勢。でもわたしにとっては、ごめんなさい、この上なくちょうどよいので、やっぱり、そのままで。ざらついた舌の表面で、ころころかたい粒を舐めあげると、思わず、といったふうに大淀の腕がわたしの頭をとうとう抱え込んだ。「つかまっていますか? 立っていてくれるなら、それでいいですよ、大淀」
「そ……なっ、あ、だめ、や、ぁっ…!」
 だめ、がまだ抜けないなぁといっそ笑ってしまいながら、抱き寄せられた肌に吸い付いて、手をゆっくり、下へ、下へ。腰骨のところに引っかかっていた、きっと今の彼女からすればあまりに頼りない最後の頼みの綱は、ごく軽く引っ張るだけでするりと解けた。支えるものをなくした下着が、びっくりするほどあっけなく床に落ちたらしい。見えないけれど。
 見えなくてもあなたのからだのかたちはわたし、けっこうちゃんと覚えているので、そのまま腰をなぞって腿に触れて。「あ、だめ、っだ、…めぇッ……!!」内側までするんと手を滑らせると、途端にきゅっと丸まった身体が、わたしの頭を苦しいくらいに抱え込んだ。背中を丸めてしまうのは、快感を反射的に我慢しようとしているひとの反応らしい。抑え込もう抑え込もうとするあなたは、あまり力の入らない足を懸命に閉じてわたしの手の行く先を阻もうとするけれど。あとそうされると正直太腿がわたしの手をむにむに挟んでくださいますのでわぁやわらかいですなんてヨコシマなココロが騒いでしまいますけれども。
「ぁ、かし……っも、ゆる、して、」
「なら、やめますか?」
「……え?」
 だめです、と言い続ける、がまんできます、と言った、やめましょう、とも言った、あなたは。
 わたしの言葉に、ねえ、いま、どんな目をしましたか?
「あなたが、本当にいやなら。やめてしまいましょうか、大淀」
「あ、……」
 わざと皮膚を最後の最後までかするように、彼女の身体から手をそっと放す。かき抱かれていた頭も、彼女の腕から力が抜けてしまえば、案外簡単に離れられる。あ、首もとのところ、結構くっきり痕に、あ、いえ、なんでもございませんよなんでもございません。
 そうして、熱暴走を起こすすんでのところでぎりぎり踏みとどまっている、理性というよりかは頭を働かせられるヒトとしての最後の能力のカケラをどうにか拾い集めて、まるで余裕ぶっているみたいににっこり微笑んでみせる。これはうぬぼれかもしれませんが、でも最近しょっちゅう思うようになったこと、なのですが。大淀は、あなたはけっこう、わたしにこういうふうに優しく笑いかけられるの、弱いですよね。「大淀? どう、いたしますか?」
「っ、……っ」
 瞳が、ほら。
 ぐらり、ぐらり、きっと、もうすこしだ。
「い、……いや、では、ない、ですが」
 ――さて。
 彼女のさっきまでぴったり閉じられていた足から力が抜けたのがわかってしまったのは、まあ、日ごろの仕事によって培われた能力の賜物と、あとは、わたしの助平能力のなせるわざ、なのでしょうね。
 でもそれがわかってしまったせいで、わたしは、いやではないですが、の続きを、とうとう聞いてあげることができなかった。あのね、手順を踏んで上手に突き崩して差し上げたいのはやまやまなのですけれど、ですからわたしも、余裕なんて全然ないんです、今日。
「では、続けますね」
「ぁ、ちょっ……んゃ、あ、っ!」
 とろとろの割れ目、入り口の下から上まで、ひと撫で。
 ひと撫で、で、トびそうになったのは、あなただったのか、それともわたしだったのか。甘い甘い声と、抱き寄せられた温度と、蕩けそうなほど温かく濡れた手にすっかり脳を犯されていたわたしには、もう判断がつかない。
「あ、ぁ、あか、明石、…ッう、く、ふぁっ」
 秘裂のふちをなぞるように、まあるくゆっくり円を描くように、指を動かす。しとどにあふれてくる液が手の甲あたりまでてろりと濡らして、外気に触れて冷たくなる。膝立ちのまま一気に不安定になった大淀はわたしのことを必死に抱きとめていて、彼女のひどく艶めいた声が、彼女自身の身体の中から聞こえてくるのだから、自分で言っておきながらずいぶんな試練の状態だった。「ひぁ、あ、明石っ、あか、し、っんんぅ、」なまえ、が、こんなにかわいい声で呼ばれるのを、まさか頭まるごとで受け止めるはめになるだなんて。ああ、もう、頭の中、どろどろ、直接、ひっかきまわされるみたい、です。
「んぁあっ……!!」入り口を掻き回す手を止めずに、親指でそっと芽のあたりをつぶすと、わたしの髪の中にうずまっていた手がぐしゃりと握りしめられて、すこし痛いくらいだった。最初のころがうそみたいに強く抱きしめられて、ほとんど隙間なくくっついた身体どうしが、彼女のふるえをずいぶんはっきりと伝えてくる。苦しそうで切実で、それから最高に興奮を煽ってくる、彼女のふるえ。
 大淀の、お腹のしたあたりの、ふるえ。
 もとめて、もとめて、啼いている、みたいな。
「大淀、……おー、よど、」
「は、ぁ……や、だめっ、あ、明石、あかしっ、ほんとにだめ、だめです、……っく、ぅぁ、あっ…!!」
 飲み込むそばから溶かしてきそうな熱が、かわいくてとてもいやらしい蠕動が、指先を、飲み込む。
 は、は、と浅い呼吸はわたしの頭あたりにたっぷりと降りかかってきて、ひどく湿ったそれが熱くてよけい脳が焼ける。多分大淀の方はそうやってせめて熱を散らしているんだろうけれど、それがわたしに帰ってきてしまってはきっとほとんど意味がない。いっこうに冷めることのないわたしの熱暴走が向かう先は、だって、あなたなのだから。どろどろ全身を浸していく熱で煮立った欲望が、みんな手に集まって、中を、揺さぶる。「ぅあ、あっ、はぁ、…あ、かし、」「大淀、っ、おーよど、すごく……すごく、かわいい、です」
 かわいい、だからもっと、啼いて。
 くに、と曲げて、内側から上のあたりの壁をこするのに、大淀、あなたはけっこう、すごく、とても、弱い。
「や、あぁっ……! も、やめ、ぁ、かし、」
「……いや?」
「ちが、っ、けど」力なく首を振るのは、彼女にぎりぎり残ってしまった律儀さだ。乱れきった浅い呼吸をは、は、とくりかえしながら、彼女はほんの指先数センチあたりで、それを握りしめている。「こん、なっ……も、ちから、が」
 つまり、あとちょっと。
 もうちょっと、だ。
「立っているのがつらいなら、座りこんでしまってもいいんですよ、大淀」
「っふ、ぁっ……あ、は、ぇ……?」
 あとちょっと、もうちょっと。
 ――もうちょっと、もっと、わたしに塗れて、溺れてください、かわいいひと。

「そうしたら、もっと奥まで、あいしてあげましょう。」

 ささやきかけた耳に、あなたのよわいところに、ちゅっと音が鳴るくらい、けれどごくごく軽く口づけて。
 あなたのなかの、あまい、あまぁいところをそうっともうひと押し、してみると。
「くぅ、――ッ、ぁ、……!!」
 きれいなきれいなかわいいあなたが、とぷんと、落っこちてくる。
 鼻先がこつんとぶつかってはじめて、彼女はようやくわたしと目線が同じになってしまったことに気づいたらしい。もぐりこんだ指先、掻き回すたびに目の前で顔が切なそうにゆがんで、それがいとおしくてたまらない。
「あ、ぁっ、ふぁ、ぁ、かし、」
「はい」
「ッん、ぁ、あかし、あかし、明石、っ」
「はい。……いいんですよ、大淀」
 ぐらぐら揺れる瞳をそっと覗き込んで、なるたけ優しいキスをひとつ。
 落ちて、どうか、落ちてきて。ここまで。ヨコシマで、きっとだいぶん汚れている、わたしのところまで。
「がまん、しなくても。いいんですよ、大淀」
「んぁ、っ、あ、ぁ……っ!!」
 そうしたらきっときっと、あまいところみんな、わたしが愛してみせますから。
 すこしだけ抜き出した指を迎え入れるように、ぐ、と腰が押しつけられたのは、たぶん気のせいではなかった。大淀の腕が、わたしの首に抱きついてくる。耳元で、はあ、とふるえる息が吐き出されたのが、
「……っ、すき」
 彼女の、かたいかたい理性の最期、だった。
「あかし、ッあか、あかし、明石、すき、すき、です、っん、ぁ、すき、ッッ……!!」
「はい。はい、大淀」
 華奢な身体があばらの浮くほど弓なりに反ったのと、挿しこんだ指が痛いくらいきゅうきゅう締め付けられたのはほとんど同時で、軽く達した彼女はああでもやっと、縮こまらないでいてくれた。
「わたしも、すきです」
 やっと、わたしに、あいさせてくれた。
 
 快感の爆発の残滓を引きずったままゆっくりとくずれ落ちた大淀は、焦点の定まらない瞳でふらっとこっちを見上げた。きらきら光る浅葱色は、やっぱりいつ見ても透き通るほどきれいだ。
 けれどその光の中には、確かな熱っぽさがまだ残ってくれていて、まだひりひり燃えてくれていて。どうやら、ようやくくずれてくれたみたい――なのは嬉しいんですが、あの、えっ、あなた泣いて、
「わ、ちょっ、あ、や、やりすぎましたか!? ごごごごめんなさい大淀っ、な、泣かないで、泣かないでください、おおよどっ……」
 ぽろぽろ濡れてしまった泣き顔は、文字通りわたしの胸に向かって落っこちてきた。
 ぽすんと受け止めたそれをどうすることもできなかった情けない姿を曝したのが十秒、すん、と鼻を鳴らした大淀の頭をこわごわ撫でられるようになったのがそれからもう十秒。要するにまともな思考を取り戻すまでに計二十秒という長い時間を要したわたしは、裸のまま泣きだしてしまったかわいいひと、という困った事態を前にすっかり参ってしまっていて。
「っだ、だから、だから言ったのに、だめって、私、ちゃんと言いましたのにっ、明石、明石のっ、……ばか」
「うわわ、す、すみません、あの、そんなにいやで」
「ばか!」
 わあ大淀、だいぶん気持ちよかったみたいで、あの、ぽかっと叩かれましてもあなたいまくてくてなので残念ながらちっとも痛くはございません、なんて。
 言ったら、さすがにこのまま抱きしめさせてはくれなかったでしょう、か。
「ばか、おかしくなっちゃうって、わかってたから、だめって、……明石のばか」
「え、あぁ、えっと……え?」
 ぽかぽか、ずっとわたしを力なく叩いていた彼女の手が止まった。
 それから大淀は、くちゃくちゃになってしまった作業着を、ぎゅっと握りしめて。

「私、だって……さびしかったんです、よ」

 そういう、そういうかわいいことを仰るあなたがいとおしくて、あまくて、あまくて、トんじゃいそう。

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