「雪の日の話。」




 十二月三十一日、大晦日。
 それは、雪の日の話。
 何かを好きだったり嫌いだったりと、そもそもそういう括り自体を全く意に介さないような鮎菜であっても、死ぬほど苦手なものがあった。

「ううううう、無理無理無理無理、寒い寒い寒い寒い寒い……」
「鮎菜、あんまり言うともっと寒くなるよ……?」
「でも暑いって言ってたってあったかくなんてならないもん、うううううう……」

 唸りながら鮎菜は、もう少し潜り込もうと体をもそもそ動かしていたけれど、既に頭くらいしかでてないような状態だ、それ以上っていうのはちょっと、難しそう。なんて私が苦笑しているのにも、気がついているのかいないのか、鮎菜はこれでもあったかいはずの部屋の中、がちがちと歯を鳴らしていた。
 外は鮎菜が見た瞬間に卒倒しそうな大雪になっている。同じマンションに住んでいるから帰り道の心配はないけれど、そもそもとしてこの部屋から鮎菜は動けなさそうだ。地域的には珍しいほどの早い雪は、鮎菜から動く気とか、元気とか、ちょっと不思議なことをがんがんしゃべらせる気とか、そういうのを根こそぎ奪って行ってしまったらしい。つまり、それくらい鮎菜は、寒さがものすごく苦手だったのだ。
 中学一年生、出会ったときからすごく変わっていて、目に映る景色はきっと誰とも違っているような、そんな鮎菜だって、こういう時はふつうの十四歳の女の子だ。普段の鮎菜は糸のついてない風船みたいに、ちょっとと多いところをふわふわしてるから、たまにどこかに飛んでいってしまうんじゃないかって不安になる。だから、こんな時私はちょこっとだけ、幸せだったりする。さすがにほっぺたのひとつも膨らませられそうだから、本人には言わないけれど。

「……っくしゅん!!」
「わっ、だ、だいじょぶ、鮎菜?」
「あううう……寒い、もうどんな格好してても寒い、核シェルターの中とかで暖房がんがんに利かせたいっ」
「まず核シェルター探すところから始めないと無理だね……」

 自分でもよくわからない返答を口にしながら、鼻をかんでいる鮎菜の髪を梳いた。真っ黒じゃない、少し神秘的な色のそれが、指の間をするすると滑り落ちていく。猫はこたつで丸くなる、というけれど、どんな寒がりの猫だってこの鮎菜にはかなわないような気がする。毛繕いでもしてやる気分で、しばらく頭を撫でた。
 それにしても、鮎菜が隣の部屋から突然私の部屋に飛び込んできたときはびっくりした。いや、たまにそういうこともするんだけど。仲良くなった友達が偶然同じ部屋で、しかも部屋が隣り合わせだなんて、そんなの双子みたいにずっと一緒にいたくなっちゃうのもしょうがない。今日はそのきっかけがたまたま寒さだったのだ。別にきっかけなんて探さなくたって、私と鮎菜は一緒にいるけど。
 ああ、だけど今日は引っ張り回してくれる鮎菜がちょこっとだけおとなしいから、なんだか変にふわふわした気分だな。

「っあああ、だめ、足りない、寒い!」
「え、あゆな……っきゃあ!」

 なんて、ふわふわしていたら、鮎菜の両手はぱっと私をつかまえて、暖かい中に引っ張り込まれてしまった。足りない、寒い、っていう式から導き出された答えはこれらしい。こたつの中ですっかり丸まっていたはずの鮎菜の手足は、今はいっぱいいっぱいに私を抱きしめてきていて、ちょっとくるしいくらいだ。
 さっき一緒に食べたみかんの甘酸っぱい匂いが、ふわり。おんなじ匂いがする私と鮎菜の距離はなくなって、それがなんだかおかしかったのか、鮎菜はしかめっ面を緩ませた。あったかい、なんて、嬉しそうな、こらえきれないような鮎菜の囁きが、耳元をくすぐる。

「えっと、ちょっと狭くない……?」
「んー、美砂も私もちっこいから大丈夫だよ。それより美砂もぎゅってしてよ、寒いから」
「しょうがないなあ……」

 だって寒いんだもん、なんて、そんな笑顔で言われたら説得力もなにもあったもんじゃないんだけど。でも何せ私は他称・そんなゴーイングマイウェイ鮎菜に付いていけるただ一人の人物だから、苦笑するだけにして、言われたとおり鮎菜の首に手を回した。鮎菜の言ったとおり、平均より多少ちっこくて、でもちょうどおんなじサイズの私たちは、そうするとやっぱり、かっちりと暖かいからだ同士、くっついてしまうのだ。私と鮎菜、おんなじサイズ、おんなじ匂い、それから、おんなじ笑顔。

「ふふー、うんうん、あったかい。核シェルターより美砂だねえ、やっぱり」
「比べられるスケールがおっきすぎてどう反応していいかわかんないんだけど……」
「分かりやすく言うと、なにより美砂、ってことだよ」
「……じゃあ、このまま、年越しまでくっついてようか?」

 くすくす笑いながらそんなことを提案してみると、案の定鮎菜はそれもいいよね、と頷いてくれた。まるでさっきの私みたいに、私の髪を撫でてくれながら。私、美砂の髪、すごく好きなんだ。栗色、綺麗。鮎菜は呟くようにそう言った。鮎菜の髪は少し不思議な色だから、そっちの方が私はずっと羨ましいのに、綺麗なのに。だけどたぶん私たちはそんな感じなのだ。おなじであろうとなかろうと、結局そのまままるっと大好きなのだ。
 年越しまでこのままくっついてようか、うん、それはすてきなことだと思う。あともう少しで一年が終わるだなんて、それもまたスケールが大きくてよく分からない話だけど。一年が終わってまた始まっても、鮎菜とずっとくっついていられるのは、きっととてもすてきなことだ。そんなことは、私のこころが、ちゃんと知っているのだ。

「年末かあ……ねえ、美砂」
「ん、どうしたの、鮎菜?」
「時間は"いま"の連続だと思う? それともさ、まっすぐ一本延びてる線みたいなものだと思う?」
「え……うーん……」

 私は考えるふりをしながらちょこっと鮎菜の目をのぞき込んでみた。そして、ああ、まただ、と思った。あったかくなったからかな、いつもの鮎菜だ。髪と同じようにすこし不思議な色をした鮎菜の瞳だけど、その奥の煌めきは、たぶん太陽なんかよりずっと元気。爛々と、まっすぐと、何かを映している。だけどそれはいつだって周りの人には、そして私にだって、見えないものなのだ。去年も今年もそれは変わらないんだろうな、と思いながら、わかんないよ、とだけ答える。
 すると鮎菜は、自分の世界に咲き誇るようにそこにいる鮎菜は、ふっと笑って。腕にぎゅっと力を込めた、近づいた距離、くっついた額。合わせた手のひらからも伝わってくる、鮎菜のこたえ。

「私にとってはね、美砂が時間なの」

 ――だから、私にとっては美砂が居るのが「いま」で、美砂と描くのが「未来」。

 そう付け加えて笑った鮎菜は、それが全部、みたいにして私の肩に顔を埋めてきたのだけれど、結局のところ、私が彼女の理論に付いていくことなど、不可能なのであって。でもそれについてさらに問いかけるのは無理みたいだ、だって鮎菜ったら、ちゃんと目を閉じたりなんかして、すっかりお昼寝体制なんだもの。
 年越しそばできたら起こして、って呟きながら、鮎菜はさいごにきゅっと私の肩を抱いて、静かに深呼吸。回答はあってるんだから理解できる説明を、ってあんなに先生に注意されたのに。鮎菜はともかく証明ってことをしないんだよな、なんて私は思って、思ったんだけれども。

「……これが、証明かなあ?」
「んー? なあに、美砂……?」
「ううん、なんでもないよ」

 たとえば鮎菜が、そうやって私を抱きしめてくれるなら。鮎菜にしか見えない世界に、私が居るような気も、するんだよ。
 言ってくれない鮎菜だから、私もそれは口にしないで、ただ私も鮎菜といっしょにうずくまって目を閉じた。視界が暗くなっても、どうやったって見失わない鮎菜。

 私と鮎菜の時間は、だから、いっしょなのだ。

 そうして私たちはくっついたまま、こたつの上でこれまたふたつ仲良く振動している携帯電話になんかちっとも気が付かないで、眠りに落ちていった。









 それは、雪の日の話。
 せっかくよくできたのに、一斉送信したメールに返答してくれる人なんて誰一人居なくて、こんなに会心の出来なのにと私は一人不満の息を漏らした。ほうっと出た真っ白な息は空に霧散していく。それにしても寒かった、ほんとに寒かった。気持ちが高ぶっている内は感じないんだけど、いざ冷静になってみるとほんと寒い。でもこんな西の地方で、毎年雪なんてそう降るもんじゃないんだから、テンション上がっちゃうのもしょうがないよね。一人ごちながら、すっかりぐしょぐしょな手袋を外す。

「サナ、ココアできたけど……わ、す、すごい!」
「ふっふっふ、すごいっしょメグ!! 今年の雪はすごいねえ、こんなでっかい雪だるまできちゃった」

 と、奥から湯気立ち上るカップをふたつ持ってきてくれたメグがそう言ってくれたから、うちの庭に鎮座することとなったこいつも、どうやら報われてくれたようだ。送った写真メールには軒並み無視を食らってしまったけれど、とりあえずこの一人が楽しんでくれたなら、それだけで十分すぎるくらい。作った甲斐があるってものだよね、うん。
 昨日から降っていた雪はすっかりあり得ないくらい積もっていて、別にかき集めなくてもお湯が沸くのを待ってる間にこれだけでっかい雪だるまができてしまった。元気に庭でなにしてるのかなと思ったら、なんて笑ってるメグは、寒さでほっぺたをほんのり赤くしながら、それでも楽しそうに笑ってくれた。うん、その顔でおなかいっぱい。
 しかしメグは、私の会心の出来である雪だるま君をしばらく楽しそうな笑顔で見つめたかと思うと、なぜかふっと表情を変えて、私に向かって手招きをしたのだ。

「……うん、でもサナ、こっちきて?」
「ん、なんで……っ、ちょ、メグ、つめたいよ!?」
「そうだよ、だからこうしてるの。」

 いやいやいやいやいや、だから、じゃあなくてですよ。でも、続きの言葉は雪より早く溶けてしまうのだ、もの申したいことはたくさんあるのに。言い訳するなら、だって、だってさ。だって、すっかり冷えきってしまった私の手を、寒いはずなのにためらいなく包み込んでくるメグの両手が、あんまりにもあったかくって、あったかくって。
 手招きされるがままに近寄っていったらこの有様である、ちょっとメグさんメグさん、そうするとぜったい、あなたの手が冷たいですよね!? 大体手が冷たいなあなんて感覚は雪だるま作ってるうちに消えちゃうもんなのだ、一度冷えすぎてしまえばそう冷たいだのと思うこともない。のに。
 メグは私の手を、いっしょうけんめい握ってくる。

「いいって、メグの手まで冷えちゃうから!」
「でも、このほうがあったかいでしょ?」
「いや……そうじゃなくて……」

 待って待って、そんな顔で笑って見せないでってば。大晦日だって全く勢いを失ってくれないメグの笑顔のまぶしさである。
 それにしてもメグだって寒いのは変わらないだろうし、なによりこんなにメグの手があったかいってことは私の手はきっと今びっくりするくらい冷たいはずなのだ。なのにちっとも嫌そうな顔なんてせず、どころか優しい表情のままでメグは丁寧に私の手をあっためる。手のひらから、手の甲、それから指のいっぽんいっぽんまで、じんわりと。
 ああ、いや、うん、メグの手が冷えちゃわないか心配っていうのもそりゃあるけど、ちょっと他の、こう、もやもやするような気持ちがこみ上げてきましたよ、どうしましょう。ふっと吐き出されたミルク色の吐息、それに導かれるように私は顔を上げてしまうと、ほら、メグのあったかい表情がある。この子の不思議なところは、こんなに美人さんなのに、ちっとも近寄り難い雰囲気なんて持っていないところなんだ。むしろね、ぎゅっとするくらい、傍にいたくなる。

「サナったら、あんまりはしゃいでたら風邪引くよ?」
「なんかまるで子供みたいな言われようなんだけど……だあって、雪だるま作りたくなるでしょ、この天気じゃあ」
「まあ、それはわかるけど。それに雪だるまについては、楽しませてもらっちゃったけど」
「でっしょー!!」
「でもそれとこれとは別。おとなしく、あっためられてください。」
「……ううう」

 ずるいよメグ、っていうのはだから、ちょっと違う意味も含まれてきた、わけで。別に暖めてくれなくても私の他のところはすっかり熱いんだけど、わかってないんだろうな。あっためるんだったらこう、乾布摩擦よろしくごしごしーって擦ってくれるんだったらまだましなのに、メグの手つきときたら彼女らしくどこまでも優しいから。だから余計なことまで考えちゃうんだってば、ああもう、指をにぎにぎするの反則、反則ですってば!

「ちょっと、あったまってきたかな……?」
「うんうんうん、もう十分、十分だから! ね、取り返しが付かなくなるうちに離そうメグ、そうしよう!」
「取り返し……?」

 なんだかかわいらしく首を傾げながらもやっと離してくれたメグ、良かった、年末なのに煩悩だらけとはこれいかに。いや、鐘が払ってくれるんだっけか。しょうがないじゃない中学二年生ですよって言い訳は頭の中にとどめておいて、とりあえず中でココア飲もうよ、と促してくるメグの言葉に頷くだけにした。
 そうして私は、部屋に行こうと、顔を上げたんだが。

「……メグ、手、真っ赤」
「え、あ、そう?」
「はあ、もう……メグってさー、もうさー、なんていうかさ」

 やっと離してくれたのに、私はそれであっちこっち焼け付きそうだった熱を冷ましていたのに、結局私は自分から、もう一度メグの手を握った。たぶん私をあっためようとしてくれたせいで冷えて、指先までかすかに赤く色づいてしまったそれを、私はさっきのメグより少し強引に、ぎゅっと握った。
 だって優しいのはメグであって私じゃないんだもの、私はこうやってちょこっと強引なくらいが、私らしい。ほら冷たいじゃない、だから言ったのに。ちょっとは自分のことも省みてよ、もっと自分勝手になってよ、もっとわがまま言ってよ、やっとこさっとこ付き合い二年目だけど、メグで頭いっぱいなこの早苗さんにさ。

「あーもう、こんなに冷たくしてぇ……早苗さんがあっためてあげます」
「えっと、サナ、それ、きりがないような……」
「おだまり! さっきのお返し、おとなしくあっためられてください、メグ」
「……はーい。」

 けれども私の手にしたって冷えてはいるわけで、大体同じくらいの温度になってしまった二つを握り合わせたところで、あんまり温もりは得られなさそうだ。といって、だったら中に入って暖まればいいじゃない、という思いつきはあまり実行する気になれなかった。だってメグは自分の温度で私をあっためてくれたんだもん。それなら私も、私の温度で、メグをあったかくしてみたいじゃない。
 なんてことについて考えを巡らせていたら、メグがちょっと苦笑するみたいに、でもやさしくふっと笑ってくれた。優美な曲線を描く、桜色の唇。さっきちょっぴり盛り上がった気持ちが蘇ると、私の実に短絡的というか、ある意味では非常に正直な頭の中は、考えそっちのけであーキスして良いですかとか考えるわけで。しかし今回ばっかりはそれが良かったのかも知れない、だって思いついちゃった。
 そうだ、手ならだめ、それなら。

「ん、え、サナ……?」

 私は、きょとんとしているメグの冷たくなった手をそっと握ったまま少し持ち上げて、それならまだあったかいであろう唇を、メグの手の甲に、触れさせた。うん、やっぱり、ここなら温度は高い。だってメグの手が冷たく感じられるもの。いっかい、にかい、何度も、あっためるように、私はメグの手の上に、キスを降らせる。

「あ、動かないで……歯が当たっちゃうぞ」
「えと……そ、そういう問題じゃ、ないような……んんっ」

 そうは言ってみても、私が行為を続けるたびに、メグの手はぴくんと反応してしまう。こういうの、かわいいんだよなあ、なんて思うと煩悩再来なので、考えない、考えない。なんて、まず始まりっから煩悩だらけなんじゃ、とかは、突っ込んだ方が負けなのだ。

「ん……どう、あったまってきた?」
「……まあ、そう、だけど」

 言いながらも何か文句がありそうにしているメグだけど、でも上目遣いだし少し目が潤んでいるしで、それはほら、あれだよ、いわゆるひとつの、逆効果。ああもういいや煩悩だらけで、そんだけ去年も今年もメグで頭がいっぱいってわけでさ、もういいじゃない。誰に言うでもなく私は笑って、ゆびさきにキスを。わがままな、熱よ熱よ、私の体温と一緒に、メグの手から浸食していってしまえ。そうやって彼女がちょっとでもわがまま言えるような子になるのは、いいことなのだ。
 メグが突き抜けて良い子なのはさ、そりゃあ、メグの魅力の一つでも、あるんだけどさ。やっぱり、好きな子にはかわいいわがままの一つでも、言ってもらいたくなるじゃない。なんて、その方が私が満足するからねって話であって、結局のところは自分本位なことこの上ないんだけれど。まあそれも私らしいかな、と思いながら、誓うように、手の甲にキスを一つ。
 で、次はどこにしようかな、なんてわくわく笑ってた、そのとき。

「…………」
「あっ、あー、まだ終わってないのに、メグ!」

 メグはほんのり朱に色づいた頬を隠すみたいに、さっと目線を逸らして、手を引っ込めてしまった。取り返そうと思うも、メグの体の後ろでがっちり組まれた手は、解けない。そりゃ力押しでいけば、マーチングバンドでチューバなんぞ担当している早苗さんですからね、なんとかはなりそうな気がするんだけど。でもそんなことしたらたぶんメグの体ごと引っ張っちゃいそうなんだよな、と、雪で滑りやすくなっている地面を見る。いやあ、惨事の予感しかしない。

「……えい」
「って、うわあ!?」

 と思って強引に引っ張るのを躊躇っていた私だというのに、あろうことか手を伸ばしてきたのは、向かいのメグだったのだ。

 そりゃあもう全然予想してなかった私は地面の上を滑りましたとも、氷の上を素敵なまでにずるっといく感触、暗転しかける視界、で、その後、軟着陸。え、軟着陸、と思って見てみれば、私の顔をすっぽり挟んでくれているのはつまりこう、あの、あれだ、つまり、メグってば十四歳のくせにけしからん。今時の子ってば発育がいいよねほんとに、雪で滑ろうが倒れ込もうがこの極上クッションがあれば怪我なんてまずしないと思います、って、言ってる場合か私、顔熱くなってきた。
 なんて、ちょっともう年末だっていうのにどこまで煩悩広がってるんだかわかんない私を余所に、メグはもうちょっとだけ私を抱き留めている腕に力を込めてくる。

「ええ、と。そんなにされると早苗さんちょっと幸せな窒息に陥っちゃう気がするんだけど、ていうか、どしたのメグ?」
「……べつに、なんでもない、けど」

 でまあ、これは私なりのメグ哲学なんだけれど――しかしずいぶん馬鹿なネーミングだ――だいたいがとこ、彼女がなんでもない、と言ったときは、なんでもあるのだ。そいでもって、暫く言葉を待っていれば、メグは結局のと頃素直だから、なにかしら意志は示してくれる。そういうところが可愛いのだ、うちのこの子は、なんてね。
けれど暫く、のそのあとにメグが示したのは、言葉による意志ではなかったのだ。ふるえるようにゆっくり深呼吸、ごくごく近いところにいた私とメグの間でふわりと舞った吐息は、きらきらと凍って。包み込むくうきが消えないその間に、さっきと違っておんなじくらいあったかいものが、ふっと私の唇の上、小さくふるえながら、触れたのだ。

「……え、え、め、メグ? なに、どしたの、いきなり」
「ん……あの、ね」

 そいでもって、耳まであったまっちゃったようなメグは私のすぐそばで俯いた。触れあったままだった頬が、くすぐったくて優しく擦れ合う。あ、こういうの気持ちいいな、なんて、雪だるましか見ていないみたいだし、私はちょっとだけ自分もほっぺた動かして、メグの肌の感覚を楽しんだりも、して。

「……このほうが、ずっとあったまるよ、サナ」
「あー……うん、そだね!」

 加えてこんな可愛いこと言われたらもうもう、そのまんまくっついてるしかないじゃないですか、ふたりでずうっと体温分けあっていたくなるよ、ほらメグ、目つぶってってば。今更恥ずかしそうに戸惑ったってだめなんだからね、知ってると思うけど、早苗さんは自分の欲望に正直なタイプなんです。だから、離してあげない。今年だろうが来年だろうが、ずうっと離してあげないよ。

「代わりにずうっと、私があっためてあげるからさ!」
「ふふ、うん、よろしくね。あ、でも……」

 え、牛乳なくなってたからコンビニ行かなきゃなのにな、って、もうどうでもいいじゃん、そんなの。後にしてよ、いまはさ――。










 それは、雪の日の話。
 陽気なドア音と一緒に俺とみっちゃんに襲いかかってきたのは、思わず縮こまってしまいそうなほどの冷たい空気と、それから。

「げっ、また降り出したよ……あー、お母さん帰ってこれるのかな、これ」
「タクシーはどうにか動いてると思うが、どうだろうな」

 対人の仕事ってのは大変だよな、なんてことを呟きながら、みっちゃんは空からちりみたいに降ってくる大粒の雪を見上げた。雪の中、真っ赤なほっぺた、白い息。白い息が出るって知った初めての時に、機関車だぞ、桜、なんて偉く誇らしげな顔をして言ってきたことなんかは、こいつはもう覚えてないんだろう。あのころこいつの母さんが働いている保育園で俺とこいつは一緒にいて、あのころもこいつの母さんは忙しくって、だから珍しい雪の日に相手をしてやるのも、俺だったのだ。

「にしても、こんな日に牛乳買ってこいって、兄ちゃんもほんと勝手……っうわあ!!」
「はいはい、どうどう……年末なのに滑り出し快調でどうする」
「さ、さんきゅ、桜……しかしお前はどうしてそう私がこけるタイミング的確にわかるんだよ……?」

 そりゃあお前、そのいつかだって、お前がすっ転んだからに決まってるだろ。教えてやらないけど、これでも俺はその程度には、こいつのことを理解しているのだ。いつかは助け起こすことなんてできなかったし、同じくらい幼かった俺は、腰やらぐしょぐしょに濡らして泣き叫んでるこいつをどうにか家まで連れ帰るだけだったんだが。いつの間にか例年になってしまったみっちゃん家での年越しをいくつもいくつも過ごしている間に、俺はやっと、こいつを転ぶ前に引っ張りあげられるようには、なったのだ。
 そんなことを思えば沸き上がってしまうのはほんのわずかな誇らしさであるけれども、昔だって今だってそれを口にしてはいけないと俺は知っているので、黙る。本当に珍しいくらい積もった雪は、白い白い景色を作り出す。たぶん部屋に戻ったら眼鏡が曇るんだろう。あのあったかい部屋に、戻ったら。

「ううー、さみいなあ、しかし……雪なんてだいたい一日で溶けるものだと思ってたんだけど」
「まあ、あったかいからなあ。でもこれだけ天気が悪けりゃさすがに溶けないだろ」
「いやあ、苦手なんだよなあ、雪」
「……寒いのが苦手っていうんじゃないのか?」
「そりゃ寒いのも暑いのも苦手なひ弱人間ですけど……雪ってさあ、濡れるだろ。余計寒いじゃんか……ううう」

 だけどそんなふうに寒い寒いと言ったって、家にマフラーと手袋があったら、片方俺に分け与えてしまうほどの馬鹿なんだろう、お前は。とっくに小さくなったマフラーしか持ち合わせていなくて、もちろんそれをつけていくことなどせず、且つ新しいものを購入するほどの余裕も俺にはない。
 母の妹一家は転がり込んできた親戚の子供にそこまでの義理を見せるような家族じゃないが、別に俺はそれをどうとも思わないし、寒いのを我慢することだって、慣れてるんだが。無愛想だわ学校に馴染まないわ生意気だわで、先生やなんかからは疎まれっぱなしだった俺が、唯一誉められるところと言ったらたぶんそこだったと思う。久西さんは、強い子ね。そんな言葉の中にどれくらいの意味が込められていたかは知らないし、知りたくもないけれど。強い、強いと映るなら、それでいいのだ。
 だから、と思ってマフラーを解こうとすると、やっぱりそこにはちっこい手が伸びてくるのだ。

「……なんだよ」
「いや、こっちの台詞だって。なにしてんだよお前」
「持ち物が持ち主の元に還って何が悪いんだ?」
「だぁから、家出るときに言っただろ! これは私とお前で半分なんだって。それと、えーっと、あと、家に帰るまでが買い物だろ!」
「寒さで頭が回ってないのか、あんまり気の利いたこと言えてないぞ、みっちゃん」

 うるさいな、なんて言い返しながら鼻先まで真っ赤にしているみっちゃんは、しかし決してマフラーを受け取ろうとはしないのだった。お前だって寒いだろ、だってさ。いつかよりも俺はずっと強くなったはずなんだけど、そう言われるんだけど、どうしてかお前は俺を強くみたりしないのだ。冷たくて強くて、そういう久西桜では居させてくれない。ずっと変わらずに、暖かい顔のままで、こいつは俺に笑いかけたりして、寒いんだったらそれ付けてろ、ばーか、なんて、憎まれ口をたたくのだ。
 もう十四歳だってのにちっともでっかくならないみっちゃんは、寒がりでひ弱なまんまのみっちゃんは、それでもなんだか不思議な力でもって、笑ってしまうのだ。だいたいお前だって寒いくせに、なんで俺の心配なんてするんだよ、ばーか。なんで、誰も気が付かないこと、たった一人お前だけわかるんだよ、ばーか。
 長い長い付き合いの中で、自分でもわからないようなことを相手に悟られるようになったのは、たぶんお互い様だった。

「うーっ、けどやっぱ寒い!! なあ桜、家帰ったらぜんざい作ろう、ぜんざい!! ほら、お雑煮のためにお餅もあるしさ」
「作ろうってったって、実際作るのは俺なんだがな」
「それはだって、お前が私に包丁握らせないから……」
「柔らかいものもまともに切れないお前に、どうして餅なんぞ切らせにゃならんのだ」
「じゃあ私ができることって応援しかないじゃないかよ!!」
「せめて皿くらいまともに洗えればな、破壊屋みっちゃん」
「……小豆の缶詰をあける役、っていうのはどうだろう」
「缶の縁で?」
「指を切る落ち。」

 なんて、まるで漫才じみたいつものやりとりを交わして、顔を見合わせた俺とみっちゃんは、ため息の後で吹き出した。ほんと変わんないったら、ありゃしない。
 それにしてもあんまり怪我するのはちょっと改善してほしいものだ。餅を絶対に切らせないのだって、いつか指を切断する勢いだったことがある反省を俺自身が生かしているからで、しかし問題はそれが俺であることなのだ、自分で生かせよ、このお馬鹿。気を付けてはいるんだよって、じゃあもう病気か、一種の病気なのか。なんて突っ込んでやると、ひっでえ、と大仰に傷ついたふりをしながら、しかしみっちゃんはどこかくすぐったそうに笑ってみせた。


「……なあ、桜、お前と私も、来年受験だよな」
「ああ、そうだけど……なんだよ、いきなり」
「ん、ちょっと……お前はどこの高校に行くのかな、ってさ」
「俺が?」
「私は……北洋か、北川か……まあたぶん北洋に、行くんだけどさ」

 ぽつりとそんな話をし始めたみっちゃんは、灰色の空に吐息で描くみたいにいて、ふっと白いため息をついた。もう半分くらい歩いた。後少しで、みっちゃんの家だ。雪が降り続けている空からじゃわからないけれど、さくさくと足音をならしながら歩いてるうちに、時刻はすっかり夕方で。きっともうすぐ暗くなって、そして、一年が終わる。来年になったら、俺たちは中学三年生だ。もう今のうちからじわじわと塾や学校は騒ぎ始めているけれど、とうとう公立組だった俺たちにも、受験の機会がやってくる。
 北洋高校は現在みっちゃんのお兄さんが通っている高校で、県内有数の進学校だ。といっても所詮こんな、公立の方が頭がいいような田舎の話であるため、高がしれている。一度受けた全国レベルの模試でもしっかりトップクラスの成績なんぞ叩き出したこいつだったら、特に問題なく合格するんだろう。全く、神様のパラメータ配分ときたら適当だ。その少しでも、注意力とか、運動能力とかに分けてやっていたら、俺の心配もちょっとは減ったかもしれないのに。

「なんか失礼なこと考えられてる気がする……っていうかさ、だから、桜はどこ行くか決めてるのか?」
「さあな……とりあえず公立、ってのだけは確かだが」
「ああ……お金の話があるもんな」

 その理論で行くと、俺は商業高校か工業高校なりに行って、とっとと高卒で就職するのが、周りに望まれた展開なのだろうな、とは思う。別に周りにへつらう気も無いけれど、波風立てて面倒なことになるのを善しとするほど、俺は俺自信を高く見ているわけでもない。だから、そうだな、の後に、だいたいそのような意志を、俺は述べようとした、のだけれど。

「じゃあさ、一緒に北洋、行こう!!」

 こいつが、みっちゃんがそんなことを言って、真っ赤なほっぺたをふにゃりと弛ませて、笑ったから。冷たい吐息と一緒に、俺の言葉は、どっかに霧散してしまったのだ。

「……なんで、だよ」
「だってさ、なんだかんだ楽しいんだよ、桜と居るの。だから三年も同じクラスになりたいし、できれば高校も一緒が良い」

 ――ああ、もう。

 ほんとに、まったく、こいつは。


「……それで俺は、高校でもめでたくお前の救急箱という称号を手に入れる、わけだなっ」
「うわあっぷ!? ちょ、な、何するんだよ、冷たぁっ!! っていうかなんだその称号、初めて聞いた!」
「うるさいな、お前のせいで俺のポケットにはなんか絆創膏が常備されてんだよ!」
「うがあ、だから冷たいっ、雪をぶつけるな、雪を!!」
「いいだろうが、『ゆき』同士仲良くしろ!」
「友達の友に世紀の紀と書いて友紀だ、白くて冷たいのとは仲良くできんっ……だからぶつけるなってば、ひいい!!」

 うるさいうるさい、これでたっぷり身体でも冷やせ、そしたら、お前の家についたら、とびきりあったかいぜんざいでも何でも、作ってやるから。傍にいたいだなんてそんなことを、俺は絶対に言えないのに、思ってたって絶対に言えないのに、なんでお前が先回りして言っちゃうんだ。なんで、そんなこと、まだ俺に言ってくれるんだ。お前は、お前の目は、もっと違う誰かをさ、二年も前から、ずっと追っかけてるくせに。
 だから、俺は、ちょっとばかし無意識で残酷なこいつに仕返しするために、そのとき後ろの方に人影があったことを、こいつには絶対に教えるまい、と思ったのだ。

 仮にこいつが、ほんとはその人と一番同じクラスになりたいって思ってると、知っていても。










 それは、雪の日の話。
 あのこ、ほんとの名前、ゆき、って言うんだ。
 考えてみたら聞いたことがあったような気もするけど、それよりも私と鮎菜、それから美砂でちょこっと前につけた、猫みたいなあだ名の方が、私の頭には残っていたから。そっか、ゆきか、と再度思うと、なんだかそれはそれで、少し眩しいような想いがした。ちらちら、ちらちら、まだ白い粒は、やみそうにない。

「っのやろー、これでどうだ!」
「ふん、お前に後ろを取られる俺じゃない、っての!」
「ぎゃあああっ、やめろ、突っ込むな、中に雪突っ込んでくんなぁっ!!」
「さっきお前が俺にしようとしたことだろうが、ばーか」

 こんなに寒いのに、道の向こうにいるあの子と、それから一番仲良しらしい眼鏡の子、久西さんだっけ、は、楽しそうに、あったかそうに、笑っていた。二人して冷たい雪をぶっつけあってけらけら笑いながら、いつも見かけるみたいに仲良くじゃれ合っていた。幼馴染だって、美砂が言ってたっけ。
 ほんとは、あのね、面白い子がいるんだよ、なんて話を美砂たちがしてくれるそのちょっと前から、私はこの、まだあだ名で呼んだこともない「みけ」のことを、知っていたのだ。一度も同じクラスになったことなんてなかったし、部活も違うし関わりもないから、きっとあの子は私のことなんて知らないだろうけど。
 多分、私のことになんて、気が付いてもいないだろうけど。あんなに素直に、心から楽しく笑えてしまうようなあの子の目には、私はきっと映らない。

 二つ並んだ背中は仲良く遠ざかっていって、私は家のほうへとまた歩き出した。早く帰って、年越し蕎麦でも作ろう。お姉ちゃんも、妹の空もきっと私を待ってる。三人姉妹並んで料理をするのがうちの年越しの常だ。そうしてぼんやりとお正月の番組でも見ているうちに、一年は終わる。また次の一年が始まる。そしたらあっという間に私は中学三年生だ。クラスが変わって、今度は高校受験のために勉強をしなくちゃいけない。ああ、でもその前に、部活の最後の大会があるか。

「…………」

 なんて、先のことを考えてみたって、ほんとはそれくらいしか思いつかない。
 一年が変わったって、不安なのはずっと同じことだ。来年も私は上手く笑っていられるだろうか、目立たないように溶け込めるだろうかって、そんなことばかり。だけど悪いのはきっと、そんな風にしかできない自分のせいだから、だから大丈夫、って、ほんとに寂しいのは、そうやって寂しさに慣れたふりをする、自分だった。
 歩くとさくさくと軽やかな音がして、痛いくらい冷えた耳に、それはしんしんと響く。暮れの田舎道には誰も居なかった。もうすぐきっと暗くなる。重い色をした空には、一番星なんて見つかりそうにもなく、ただ白い白い雪だけが、静かに、静かに降り続いていた。傘に積もった雪を一度払い落としてから、もう一度歩く。さくさく、さくさく、それは私にとって、あまりにも静かな、こどくのおとだ。

「きっと、上手には、わらえてるとおもう」

 呟いてみた。そうだ、それはほんとのはずだ。だって心配されたりなんかしないもの、私は。明るく振舞う事だってちゃんとできてる。一般的に言って私は「いい子」だし、話せる人が誰も居なくて浮いてるだとか、そんなことは全然ない、ないように、してる、はずだ。
 たまに、それがどうしようもなくくるしくなる、だなんてことは、考えない方が、いいんだ。

 ――と、そのとき、優しい風が吹いて。


「……あ」

 あのね、彼方も、みけと一緒に居たらきっと、面白くってしょうがないと思うよ。
 かすかな風に運ばれてきた雪が鼻先に当たって、ゆきだ、と思った瞬間、蘇ったのはそんな美砂と鮎菜の声だった。だから来年、同じクラスになるといいね。たくさん、たくさん楽しい話を聞いた、一方的な知り合いである「みけ」。もう振り返っても、きっとあのちいさな背中は見えないだろうけど。お人よしで、ふにゃってしてて、可愛いんだよ。なんて、人づてに聞くばっかりだけど、なんとなくそれは全部、本当のような気がしていた。だってたまに擦れ違うときだって、友達に囲まれて楽しそうにしているあの子は、何にも嘘がない、ほっとしてしまうような表情を、浮かべていたから。
 来年、そうだ、もし同じクラスになったら。もしも、美砂たちが言うみたいに、あの子と話せるようになったら。手のひらの上に、ひとひら、雪が落ちた。体温が低いせいか、それとも無駄に手がおっきいせいで血が端っこまで通わないのか、私の手は冷たいけれど、それはあっという間に溶けていく。

 そんなふうに、すぐに消えていきそうな夢を、私はちょっとだけ、想像してみたりしたんだ。


「もしそうだったら、私も……」


 ひとりじゃ、なくなるのかな、なんて。










〜あとがき〜

ただいま製作中のゲームの子達、中学二年生、冬、年末のお話。それを年越しの後にUPする私。 ←
そんなわけで、なんかまるでプロローグみたいになりましたね、雰囲気としてはこんな七人のお話です。

ここであんまり語るとゲームのネタバレ感満点なんであの、アレです、うん。
そんなんで、こんな子達が活躍するものを今鋭意製作中です、っていう感じで。

みなさんの一年が、よい一年になりますよう。
私も頑張って創作し続けますので、一年のうちのあったかタイムを作れたらな、なんて思いつつ、ではでは。

 

 

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