げんきなあのこ
いつもの私だったら、目に留めやしないはずなのにどうして、なんて、思ってたっけなあ、最初。
高校生にもなれば自分がどういう人間かはだんだん理解し始めるもので、
同時に、自分がどういう人とだったらうまくつき合えるのか、ってことも、なんとなく見えてくるものだ。
そうして15年間生きてきた私は、とにかくクラスで一番明るいポジションに自分が属することを知っていた。
みんなの盛り上げ役を、盛り上がるグループで買って出る、それが一番私らしい。
持って生まれた才能だねっていつかの友達が言っていたように、
今日もクラス中に響きわたるような大声で、きゃあきゃあ笑うのがきっと、藍沢千夏らしい、ということなんだ。
それをちゃんと理解していた私は、高校に入ってからだってその通りに生きて、
とにかく楽しかったらそれでオールオッケー、みたいな子たちと、ぎゃあぎゃあやろうって、そのつもりだったんだけど。
「えっと……さ、さざなみ、さん? で、あっとるよね?」
「うん」
「き、昨日、さ!! 放送部、入部、きとったよね? 同じ部活やん、よろしくなー」
「…………」
なんでまた私は、しどろもどろになりながら、こんな、人が笑い掛けてもぼーっとしとるような子に、声掛けたんやろうなあ。
なにひとつ反応してくれない、聞いてくれてるのかどうかすらかなり気になる、
そんな人形みたいに静かな瞳で、漣さんはじいっと私の方を見上げていた。
私が混ざっているはずの教室の喧噪にかき消されそうな声で、よろしくって、答えてくれたんだろうか。
あいにくと、でかい声を聞き取る方に長けてた私の耳は、そう高性能でもなくて、わからなかった。
「もー、とにっかく反応うっすいのね。ばり薄。え、えすでーカード? かっちゅー話でね」
「ああ、うん、慣れないギャグ飛ばさなくて良いから……千夏が機材系だめなのはもう部員みんな知ってるって」
「う、うちやって琥珀に任せきりにしとらんで、機材覚えようとしよんよ!? 琥珀もよう教えてくれるようになったけん、もうカメラのスイッチくらいなら入れられるし!」
「あはは、そりゃ、琥珀ちゃんの努力に乾杯だねえ。でもさあ、逆に言えばだけど」
「ん……なん? 美緒」
「それってー、そんだけ実感込めて言えるくらい、反応うっすい琥珀に話しかけたってことだよねえ?」
「ああ、まあ確かに……それも不思議な話よね。どうしてだったの、千夏?」
「……そんなん、うちが一番不思議やわ」
ぼそりと答えて残りのジュースをすすった私に、向かいのテーブルの亜紀と美緒は、揃ってきょとん、とした。
つきあいの長い二人にも、こんな話をするのは、初めてだった。
初めての、まあもちろんぼろっかすにやられた大会の傷も一応ひと段落着いて、夏期講習期間に入った、午後のこと。
高校からずっと電車に乗った先、駅前のハンバーガーショップは、今日もうるさい。
あんまり賑やかだから、琥珀の声くらいだったら、ここじゃあやっぱりあのときみたいにかき消されてしまいそうだなあ、なんてことを、
氷が溶けて薄くなったジュースを飲みながら、ぼんやり考える。
「……最近は、うちらとのこーゆーのにも、結構付き合ってくれるようになったんやけど」
「ん、まあ、最初に比べればぜんぜんましだよね、最近。っていうか、琥珀、すごく変わった気がする」
「うんうんうん、いい傾向だよねえ……ってえ、なんで千夏、遠い目してんの?」
「や……なんつーか、うーん……」
付き合ってくれるようにはなったけど、同じクラスである私は知っている、それよりも格段に多く出かける機会が、増えた人。
くわえたストローをぷかぷかさせながら、ぼんやりと、ぼんやりと、考えてみる。
なんとなくやけど、あの子って、普段、どんなとこで、どうして、遊びよんやろう、なあ。
――里見さんと、一緒にさ。
「あ……里見さんって言えば、最近、よく琥珀と一緒にいるよね。やっぱ、仲良しだったんだ?」
「うーん、前はなんかいろいろぎすってたみたいだけどねえ。雨降って地固まったんじゃないかなー、前よりずっと仲良しっぽい感じ」
「そうなんだ? 美緒って案外人のことよく見てるよね……」
「にっひひー、だっしょー。あとあの二人、毎日一緒に帰ってるしねえ」
「……うちやって」
ところで、にんげん口は開かなければわからないのに、思っているだけでは伝わらないのに、
一度出してしまった言葉はもう絶対もとには戻せないなんて、理不尽じゃないか、と、たまに思う。
やり直しのきかない一発勝負のくせ、口から出てくる言葉というやつはじつにじつに扱いにくいもので、
会話のほとんどは互いの上手な勘違いで成り立っている、なんて話もあるくらいなんだ。
「うちやって、一日だけやけど、琥珀と一緒に帰ったこと、あるもん」
だから別にそんな顔させるつもりじゃなかったんだなんてことを、ごうと大きな音を立てて走り去っていく電車を見つめながら
、なま暖かい風に前髪を遊ばれながら思ったって、もう、遅い。
嬉しかったんだ、きっと私、すごく嬉しかったんだ。
ねえ理由はぜんぜんわからんけど、合わないってのもわかっとったけど、何度も話しかけたこと、琥珀は覚えとるやろうか。
美緒が言ったみたいに毎日落ち込んでは、ああほんとにあの子とうちは合わないタイプなんやろうなって実感してばっかりだったのに、
うち、うちさあ、毎日毎日、なんとか話題、探してさ。
今はほっといた方がいいんじゃない、ってあくまでも常識的な助言をしてくれる亜紀や、
きっと私たちじゃだめなんだねえって笑う美緒のこと振り切って、何度も琥珀のことを、誘った。
二人には言ってないし、たぶんこれからも言う機会はないのだろうけど、実は二人に相談して放送部でって言ってたのは最初のころで、
あとは一人で誘った。別に二人で行くことになっても、いいって思った。
もちろんそのほとんどはぜんぜん、ええもうなにひとつうまくいかなかったし、でも、だから、この子ときたらなんて難しい子なんだろうって、
クラスの誰より、部活内の誰より、思っている自信がついたんだ。
あの子が俯いてる顔だって、人形みたいにぽやっと反応するのだって、色のない瞳でこっちを見てくるのだって、
きっと誰より一番自分が見てるはずだって、そんな自信が、あったんだよ、私は。
「き、聞いて、くれた? ど、どうだった!?」
「えっ、あ、う、うん……その」
「あり? 漣さんは? バッテリー持ってきたんやけど」
「あ、あのへんでなんか囲まれてる……や、囲まれてるのは里見さんなんだけど」
「真っ先に来るなんて、二人、きっとすっごい仲良しなんだねえ。ほら、見て」
「………?」
「そのっ、えと……す、すごかった、上手だった、よ、ゆいっ」
「うん……うんっ、ありがとう、ハク!!」
「漣さん、うれしそうだねえ」
「んー……そ、そう? あんまりわかんないかも……」
「……嬉しそうやん、めっちゃ」
「え、ち、千夏までわかるの? な、なんか私、ちょっと悔しくなってきたな……」
「あはは、亜紀ちゃんにも、きっとわかるようになるよー」
だから、なあ、あんたの目にうちって映ってたんかな、いっかいでもしっかり映ってたんかな、なんてことを、
私はあの日、思い切り抱きつかれて耳まで真っ赤になっとったのを見ながら、思ったんだ。
あのとき心の中でかたりとなにかが倒れてしまったような気がしたのは、なんだったんだろうか、なんだったんだろうか、ほんとうはよく知っていたんだけど。
そもそもとして、私が抱えていたちっぽけな自信なんてものは最初から穴だらけだったんだよって、私はどこかでわかっていたつもりだったんだけど。
でもやっぱり初めて、一回だけだね、でも初めて一緒に帰れた日、私はやっぱりすごく嬉しかったんだ、
それ見い、伊達に友達たくさんってタイプの子やってきたわけじゃないんよ、なんてさ。
人に合わせるってことやったら慣れとるつもりやけん、気難しい子やけど、えらい時間かかったけど、
二年もおんなしクラスでおんなし部活やっとったら、話ぐらいしてもらえるようになるんよ、なんてさ。
きっと、思わず笑っちゃうくらい、うれしくってさ。
「……里見さん、また、違う男子とおるなぁ」
それなのに、たった一度見かけただけで、あんたのことぎゅっと俯かせてしまうみたいなひとのこと、
こわれそうな顔させるひとのこと、うち、あの時まで良く言えるほどいい子じゃ、なかったんよ。
ドアが閉まるその一瞬前、あんたさ、自分がどんな顔しとったか、知っとるかな。
ちっちゃな手ぇひらひら振りながらさ、うちのことじいっと見上げながらさ、どんな顔、しとったかって。
美緒よりも先に、というよりもはっきりと、琥珀のそばにいた私は突きつけられていた。
琥珀の目の向こうに、そのとうめいな向こうにいるのはだれかってこと、私は、いちばん、知ってた。
ねえだから自信を持てるのだとしたら、この、このあんたのどこにもいないような私がたった一つ自信が持てることがあったとしたら、それはたぶん。
たぶん、うちとあんたのこと、についてじゃなくて。
「ごめん」
「あ……え……? っ、こ、琥珀!!」
それはたぶん、あんたがさあ、いったい誰を、ひっしに、ひっしに、たいせつに想ってたかって、きっとそんなことやったんやろう、なあ。
「……きっと、うちは、あの子にとって脇役やったんやろうなぁ」
「は……え? なに、それ?」
「やって、次の日にはもう、にこにこしとるんよ、琥珀。あ、や、にこにこっちゅうのは言い過ぎかもけど……とにかくな、その前とはぜんっぜん違う顔が、できるようになっとったん」
「ああ、そういえばあったねえ、そんな日。なんかいいことあったのかなーって、亜紀とも話したよね?」
「まあ、言われてみればそんなことも、あったような……今じゃすっかりそれが当たり前になっちゃったから、そういえば忘れてたかも」
「てことは、それ、すごい自然な変化だったってことなんよ。要はさ、琥珀ってもともと、ああいう顔ができる子やったんやろ」
「…………」
「だから、ほんとは、それまでずっと辛かったんと思う、琥珀。それが――うちらにとってはある日突然やね、ある日突然、楽になったんやわ」
すっかり味が薄くなったジュースももうなくなってしまって、最後に溶けかかった氷が二片だけ、紙コップの隅に残った。
ある日、突然。なんともおかしな響きだと思う。きっとそんなことはないのに。
きっと琥珀は、そして里見さんは、ああなるまでにいろいろなことがあったに違いない。
私がこうやって美緒や亜紀と話している間に。昨日は二言も会話しただの妙な報告をしている間に。
その間に、二人は、それぞれいろんなことを経験しながら、たぶん一度隔絶されながら、
それでもまた、一緒にいる道を選ぶような、きっとそんな素敵な物語が、二人の間にはあったのだ。
「……まあ、うちはなんも、知らんけどね」
ずずずっ、とえらく大きくてぶかっこうな音がしたので驚いて顔を上げると、亜紀がしかめっつらでコップの中を空けたところだった。
美緒が不思議そうな顔でそっちを見ている。私も不思議だった。
もともと亜紀は、このかしましい放送部三人娘の中でも一番行動が落ち着いているたちで、
私とちがってちゃんと上品な子だから、かなり珍しい行動に映ったのだ。亜紀はふうっ、と一つ息をつく。
あきれているのか、でも、なんだかやさしい、そんな顔をしていた。
「千夏ってさあ」
「うん?」
「琥珀のこと……すっごい、好きだよね。」
手の中でゆっくり溶けていった氷が水になって、つ、と光る。
「――そげんこと、なかよぉ。」
けらけら笑いながら自分で言った言葉が自分に刺さって、抜けなくなった。