「Supernova -やらずの雨-」

傷つけてしまうのが怖いんだったら、最初から近づかなければいいのだ。
それは多分に私がずっと掲げてきた臆病な理論で、矛盾していたのは寂しがりな私で、ぎしぎし動く欠陥品は、だけどちゃんとここにいた。ここにいて、手を伸ばしていた。
だれか、だれか、ってわがままな声に応えてもらったのは、わがままな指先が冷たいくせにひどくあったかいひとに届いたのは、ねえ、もう、ちょっとだけ、前のことになるんだね。


隣できょときょとと景色を眺めていたはずのハクはいつの間にか私の方をそっとのぞき込んできていた、首が傾いでる、ぼーっとしてるみたいに見えたかな。なんでもないよ、だいじょうぶ。
口にする代わりに小さく首を振ると、意図は伝わったらしいハクが一応景色の方に向き直りながら、それでもこの子らしくか細い視線がたまにこっちを気にしているのがわかった。
考え方とか、抱えているものとか、そういうのはすごくすごくややこしいんだけれど、思っていることはけっこう仕草に出やすい子だ。うっかり視線がぶつかると、あわてて俯くけど。
もともとたくさん話すタイプの子じゃないから、私はそうそうハクの声を聞くわけじゃない。でもね、ほんの少しずつだけど、小さな仕草から、ハクの言葉を聴けるようには、なったんだよ。


「……ハク」

「っう、え?」

「ふふっ、変な声……あのね、ちょっと寄り道していかない?」

「より、みち……ええと、どこ?」

「ん……じゃあ、駅前まで行こっかな。まだそんなに時間、遅くないよね?」

「うん、三時……ちょっとすぎ」


ハクはかくりと頷いてまたそれきり黙ってしまった、なにかすこし、雰囲気が変わった、かも。なんだろう。縮こまるようにしてるハクを、こっそり観察してみる。
いつも私が降りる駅と、ハクが降りる駅を通り過ぎて、青ヶ原駅前まであと10分。まだ早い時間だからか、電車を利用する人は少ない。土曜でもやっぱり田舎は田舎だ。
ハクと私のあいだに流れる沈黙は痛みをはらまないから好きだった、がたん、という音と一緒に電車が揺れる。少しずつ町が賑やかになっていく。今日は曇り空。
雨になるかな、ならないといいんだけど、と思ったそのとき、ハクからなにか、ふわりと。


「…………」


黙って、黙ったままだったけれど、私は確かに、ハクがちいさくちいさく笑ったのを、聞いた。そのあたたかな音を、聞いた。これは嬉しい音かな、そうだと、いいな。
土曜、ちょっと早い部活の帰りに、一緒に寄り道しようよって、そんな時間を、ハクも嬉しいなって思えてるんだったら、それはきっとすごく、いいことで。もうすぐ、降りる駅だ。

でも、でもね、あんまり笑わない子だからなのかな、かなしそうに笑う子だったからなのかな、肩をくすっと縮こまらせて、ほんのすこしおさないふうに笑うと。あなたが笑うと。
私は、胸の奥がちょっとだけきゅっとして、でもすごく、ぽかぽかするんだ、ねえきっと、わかってないんだよね、あなたは。気づいてないのは、私の視線に、ってだけじゃないんだよ。

かわいーなあ、とか、すきだなあ、とか、私のそんな言葉は、口にしないから、きっとあなたは、気がついてないんだよね。


「まあ……いっか」

「え?」

「なーんでもない、よ」


これは寝ぐせなのかなあ、それとも。あいかわらずぴんぴん跳ねてる頭をくしゃくしゃ撫でる、わ、わ、ってあわてた声、もうちょっとだから、がまんがまん。
だってほらもうすぐ降りる駅だよ、だからがまんがまん。前髪はそのままにしてくれてたんだね、こんなふうにくすぐったそうにしてる顔は、ほっぺがちょっと赤いのは、まだひとりじめ、かな。
でも、ずっとそうだといいなって考えるのは、きっと、間違ってる。そろそろ藍沢さんあたりが、動くと思うよ。千夏の勢いにはかなわないって、ハク、言ってたもんね。


「っゆ、ゆい、あの」

「んー?」

「あの、さ……えっと、あ、そうだ、もう着くよ」

「ああ、うん、うん」


もう着くよ、っていうか、着くまで焦ってたんだよね。なんていじわるがちょっと思い浮かんで、弱々しい表情ばかり浮かべるハクにいじわるなんて言ったらどうなるんだろう、って。
今までで一番乗り込んでくる人も降りる人も多い駅、私は立ち上がって、なんだか軽くため息でもついているかのようなハクの方を、振り返る。

後ろ手に組んだ手を、ぎゅっと、ぎゅっと、握りしめる。


「じゃ、行こ!」

「……うん」


のばしたりなんかしてしまわないように、隣を歩くときに触れてしまわないように、制約と距離とを守り続けるように、私はハクに向かって、笑ったのだ。
あなたはほんとにかわいくて、すきだなあって想うことはたくさんで、でもきっと私はその分だけつよくハクの手を握ってしまうから。
そしたら痛いだろうなってことはわかってるの、嫌われちゃうんだろうなってこともわかってるの。一番怖いのはハクがいなくなっちゃうことだから、だから。

握りつぶしてしまうのが怖いなら、初めから触れなければいいのだ。指先がかする、こころが跳ねる、ふらつきそうな足で、微調整、微調整。
どうかハクが傷つきませんように、この子が無邪気に、私の好きな笑顔を、浮かべていられますように。20センチの距離が、この恐ろしい私からハクを、守ってくれますように。


「どこ、行く?」

「え……あー、うーんと……CDショップ、とか?」

「ん、わかった」


すきで、すきで、だいすきだから、こわいんだ。
こわしたくないの、あなたを、だいじに、したいんだよ。









「あれ?」

「ん、どしたのハク」

「外……」


ハクがちいさく指さした先、ぱらぱらと微かな音。ああ、そういえば、曇り空だったっけ。雨になるなんて聞いてないよって哀れっぽい会話を交わす二人が、横を通り過ぎていく。
駅から少し離れたCDショップまで足を運んでみたところまでは良かったと思う。好きなアーティストの持ってないシングルかなにかを見つけたハクが喜んでるとこも見られた。
ハクはちょっと意外なくらいに――それこそうちで一番その辺に詳しい尚が驚くくらい――音楽の趣味が多岐に渡っていて、口数がちょっと増えている辺り、楽しんでもくれたと思う。
私はといえばいつもよりゆるんだ表情がたくさん見れただけで万々歳、探してたアルバムもなぜかあっさりハクが見つけてきてくれたし、だからそこまではほんとに良かったんだけど。


「えー、傘……なんて、ないよねえ」

「……ごめん、ぼくも」


なぜかとても申し訳なさそうに言われてしまった、そういうところはどうにも直らないらしい。別にハクのせいじゃないってば。私ももってなかったんだし、同罪。
ハクは私が諭したのを聞いてはいたようだし頷いてもいたんだけど、なぜかまた俯いて、手を頭に当てていた。その仕草を見て、私はある一つのことが思い当たる。


「あ……具合、悪い?」

「ん……えと、頭痛、は、まあ」

「そっか」


だからハクは、雨の日が嫌いなのだ。もしかして朝から具合が悪かったのかな、それなら連れ出すべきじゃなかったかな。
しとしとと降り続く雨は勢いをだんだんと強くしてきていて、強ければ強いほど痛みも強くなるらしいハクは、くしゃりとゆがんだ顔を、していた。

思い出されるのは、いつかの声。まだハクがひどく稀薄で、ひどく淡い淡いままで消えていきそうだったとき。
あのときハクは、かなしそうに笑っていた。私はきっと、その笑顔に、とても、とても、惹かれていた。


いまは、それも、ぜんぶひっくるめて。
淡い色も、ふと現れる鮮やかな色も、ぜんぶ、ぜんぶ、私はね、ほんとは、この手で、ぎゅっと。





「……ごめんね?」

「ん、え、なんで……?」

「だってハク、雨、嫌いだし……まっすぐ帰ってれば、よかったね」


ふとあふれそうだったのを飲み込んで問えば、しかしハクは、なぜか間髪入れずに首を横に振った。あ、頭痛いのに、振ったらよけいつらくないのかな。
そんなことが気にかかっていたかといえば、それは一瞬だけの話。ハクが口を開く前までの、話だ。



「……やらずのあめ」

「えっ?」



――ハクは、ぽつり、と、言って。




「もうちょっとだけ、寄り道、できるね」



そんなことを、ちょっといたずらっぽく肩を竦めて、ああ、たぶんここまでは初めて見るかもしれない、もうやだなあ、藍沢さんに負けないでよハク、ねえ、ああ、もう。
こんなのまるっきり矛盾してるってわかってるのに、あなたがそんな風に笑うと、笑うとね、私は、もうどうしたらいいか、わからなくなるんだよ。
伸ばしちゃいけないって、きっとこれはあなたを傷つける手なんだって、わかってる。私は私のだめなところ、誰より一番よく知ってるんだ。

だから、だいすきなら、だいすきなあなたのこと、辛かったり痛かったり苦しかったりするぜんぶから、或いは私からだって、守ってあげたいんだけど。


「……ハク、」

「ん?」



こえはふるえてる、だってもう、どうしたらいいか、わからないんだよ。




「手、つないでも、いい?」




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はい、「月とサカナ」さん(http://snao.sakura.ne.jp/)提供、「恋人同士のお題20」より「やらずの雨」でした。
短い、一番短い。でも二人はこんな色のほうが、やっぱりちょっと、しっくりくる、かも。
唯香も琥珀もきっとすごく難しい子で(だからこそ愛されると嬉しいのですがw)、歩みはきっとゆっくりですが。
こういう感じで、だーんだん、だーんだん、進ませてあげられたら、いいなあ。

琥珀の持ってる強迫観念もだけど、唯香の抱える恐怖も、理解は、されにくいはず。
大切なものを落としてしまうのが怖い。落としてしまうのが自分じゃないなら、少しは苦しくない。だから、持たない。
でもそれじゃあ、君の手は、冷たいままなのだ。

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