「Supernova -after.2-」

実力テストがやっと終わったその日、ゆいはひどく疲れていたみたいで、電車に乗り込んだ途端溜息と一緒に座席に沈んだ。
でも確かに、土日を挟まないテスト最終日に地歴と生物と英語はちょっとひどいな、と思いながらぼくも隣に座る。
疲弊しきった高校生二人を乗せて、電車はゆっくり動き出した。


「うぅ……だめ、もう、寝ちゃいそう、かも」

「えっと、あんまり寝てないの?」

「ん、まあね、私、頭悪いから……いつものハクくらいは、寝不足かも」

「ぼくは眠りが浅いだけなんだけど……あの、寝てて良いよ、ゆい?」


着いたら起こすから、と言ったら、ゆいは暫く考え込むように眉を顰めていたけれど、眠気に負けたらしく、観念したように目を閉じた。
そういえばテスト期間にも部活があったと聞いたし、そういうのもあって、相当疲れてるんだろう。片目だけあけてごめんね、と言うゆいに首を振って答える。
元々ぼくはそんなに会話するのが得意じゃないし、ゆいも今日は喋るのが辛そうだから。それは言わなかったが、ただ頭を垂らすゆいを横目で見た。

電車が一駅過ぎるか過ぎないかのうちにはゆいの意識は眠りに沈んでいて、規則的な寝息がぼくの右側をくすぐった。
高校下の八代神社前から一つ目、鴨ヶ原駅のホームを抜けた窓の向こう側で、町は素知らぬ顔をしている。今日は天気が少し悪い。
春先、この時間帯にこの駅を抜けたところからだと、天気が良ければちょうど、西日が綺麗に見えるはずだから。明日は、雨になるだろうか。


そう考えると、またどうせ頭痛だ、と思って苦々しくなっていたっけ。そのたびぼくはプレーヤーの音量をどんどん上げて、目を閉じていた。
鬱屈する耳を突き破るように音楽が鳴り響く。ぼくの殻の中で鳴り響く。鈍くて遠かったあの音を、ぼくはまだ、覚えている。
何にも変わらないままでそこにある町を見ながら、ぼくはいつかの音楽を聴いていた。


そのとき、すとん、という音と一緒に右手がふっとあったかくなる。
見ると、すっかり寝こけているゆいの足の上で組んでいた指が解けたらしく、彼女の左手はそのまま、シートを握ってたぼくの右手の上に落ちていた。
へんにあったかいのは、なんでだろうね。まるで凍り付いたみたいに、ぼくはゆいの手を見ていた。鳴り響く音楽が消える。
ゆいは、ゆいの唄は、変わらずぼくに、柔らかな沈黙を与えて、静かな静かな彼女の声は、やまない。



「…………」


ぼくの意志とはほとんど関係ないところで、ぼくの指はぴくりと動いた。吐き出した息はびっくりするくらい細くて、ふるえてる。
この手をどうしたいかなんてことを、問いかけてはいけないような気がするのに、その答えだけはいつだってはっきりとぼくの殻の中で浮かぶのだ。
それはとてもとてもおかしなことで、だけれどゆいについて考えてみれば、ぼくがおかしくなかったことなんて、きっと最初からひとつもなかった。


友達なんて作ろうともしてなくて、どうか誰もわたしに気がつきませんようになんて願っていたくせに、ゆいの隣にだけは最初から行きたがった。
君の好きな歌をちっとも覚えていなかったあのときからだって、ぼくは深く呼吸でもするように、君の姿を探していた。
胸が痛むのは、そうしているわたしをぼくが責め立てるからだってぼくは勝手に解釈していたけれど、ねえ、今はもう、わからないんだ。
だってそれは締め付けるような、叫び散らすようなあの痛みじゃ、なかったから。
もっともっと、深いところの。もっともっと、わからない痛みだったから。


囁くように弦を弾く音。君のうた。君のこえ。
それら全部を滑稽なくらい一生懸命拾い集めて、どうしてなんて怖いから考えもしないで、気がつけばぼくは、どうしようもないところまで来て。
からっぽだったぼくのなかに、たった一人ぽつりと君が笑っていると気がついた頃にはもう、手遅れだったのだ。
のんびりしたアナウンスが、ゆいの降りる駅まであと一駅であることを告げる。静かな寝息。起こすのがちょっと、かわいそうだ。


そうだ、このまま、どこか遠くに、行ってしまおうか?


なんてことをふっと考えたりして、一人唇を噛み締める。耳が熱い。五人きりだったのにみんな降りてしまって、車両に人がいなくなる。
また、ぼくが思うところとは別の意志で目線がずれて、ふっと見えたのは、ゆいの手のひらだった。ぼくよりも少し大きな、ひどくあたたかい手のひら。


いつだって今だって、嘘みたいなほんとうはすました顔してそこにいる。
ねえ、ゆいはぼくのことが好きなんだって。こんなぼくのことが、好きなんだって。ぼくの居場所になってくれるんだって、ねえ、知ってたかい。
それはあっさり受け取ってしまうことなんて到底できそうにないようなことで、だけど、だけど、そのあたたかさに嘘がないと、ぼくの手が、目が、云うのだ。
どこかに綻びがないか、なんとか夢から醒ましてしまえないかと注意深く探すぼくを、それはあっさりと押さえ込んでしまうのだ。




――ゆい、


口の中だけで呟いて、どうとも云えないそれを抱えたまま、ぼくはそっと目を閉じる。
ぼくのそれはひどく脆くて、そのくせやたらとややこしくて真っ黒な、絡まった糸くずみたいだ。解くのは厄介で、目も当てられないほど醜くもある。
だけどたぶん、ゆいは、これのどこを引っ張ったらうまく解けてしまえるか、知ってる。ぼくが知りようもなかったそれを、ほらこうだよ、って、指し示す。
ぼくはそれでも一生懸命手を引っ込めていたのに、君のあたたかな指先は、それでもあきらめずにずっとずっと、ずっとずっと、伝えて。

だからぼくは、ころんとでてきたちっぽけで弱々しいそれを、自分で握ってしまったんだ。


ぼくの「ほんと」も、ほら、そこにある。




「…………」


ゆいが起きてしまわないように気をつけながらぼくは一人でくすりと笑って、しょうがないなと笑って、一つ息をついた。
ずっと聞こえてる小さな寝息、ぼくは、しんちょうにしんちょうに、あたたかなそれを。
握るなんてまだできそうにありません、だけど、ちょっとだけ。
震えてるなんてばれないといいな、どうか起きませんように、言い訳なんて思いついてない。

ぼくのこのみにくいほんとうを、まだ弱くて震えているそれを、握ってもいいって、言ってくれるなら。
ほんの少しだけ、願ってもいいかな。ほんの少しだけ、手を伸ばしてみても、いいかな。
細くて白い指先、ふくりと、触れて。

ぼくは小指だけをひどくへたくそに君のそれと絡めて、それだけで淡くこころに色が灯るのを、感じていた。
だめなぼくも、どうやらどうしようもないんです、どうしようもないから、だから。



ゆいが降りる駅まで、あと一分。







少し淡い色の話が書きたいと思って。
琥珀がひたすらぶつぶつ話してました。
頭の中では饒舌、そんな琥珀のSupernovaのafter2。

見えないほんとうを探したり、
せっかく見つけたのに自分で投げ捨てたり。
でも、たまにちゃんと握りしめてみたり。



 

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