「Supernova -after.1-」







「そういえば……あんさぁ、結構前から思ってたんやけど」

「ん……?」

「琥珀ってさ。その前髪、切らんの?」


同じ部活の部長であり、何の縁があってか二年連続おなじクラスの千夏が、それにしてはあまり回数を重ねていない雑談中にぽつりと言った。
そもそも同部同期とはいえぼくが千夏とまともに話し始めたこと自体、二年生の四月も終わりに差し掛かろうとしていたころだったんだが。
しかも自分から話しかけられるようになったというわけではなく、単に元来明るく友達を作るのが得意な千夏が、たくさん話しかけてくれるだけ。
それでもこうして折を見ては何かしら話を振ってくれるので、ぼくとしてはとりあえず、感謝するしかなかった。

にしても今日の話題はちょっと続けにくいというか、と思いながら、千夏が話に出した自分の前髪をなんとなく引っ張ってみる。
あまりにも伸びてきたらそれは切るけれど、千夏の言うとおり、ぼくのこれは一般的に見て長い方だ。
鏡とあまり向き合わないからよくわからないけど、多分、目をすっぽり覆うくらいの長さはある。


「なんかそれ、やぜくない?」

「や……え?」

「あ、ごめんごめん、えーっと、邪魔くない?」

「……んん」


答えあぐねて、ぼくは曖昧な相槌だけを返した。
邪魔だと思ったことがないかと言えば、そんなことはない。たまに目にも刺さって痛いし、ものを見る時にはいつも影がかかる。
だけど、そういえばちゃんと切ろうと思ったことも、なかった。戻ってきた記憶をぼんやり辿れば、幼いぼくにそんな癖はなかったはずなんだけど。
ということはぼくがそうし始めたのは中学の頃からで、それ以降切らなかった理由と言えば、なんとなく、としか思いつかない。
なんでもはっきりさせたい質の千夏がそんな返答で納得するとも思えなくて、ぼくはただ引っ張ったり払いのけたりしながら、考えに耽る。



――強いて言えば、ぼくにとってはたぶん、このほうが好都合だったのだ。



「ん、まあ、わたしは、このままでいいかな……」


言って、どうにかこうにか笑ってみる。もっと笑った方が良いよ、なんてことをゆいは言っていたけど、どうやらぼくにそれは難しい。
どう浮かべようと思っても、上手に笑うのがぼくはへたくそなのだ。それはずっと前からそうで、今もなかなか変わらない。

劇的に何かが変わるなんてことはやっぱりなくて、ゆいが居ても、ぼくはわたしは、だめと言えばだめなままだ。
たとえばこうしていたらさ、人は幽霊みたいだとわたしを呼称したり、するんです。わたしに透き通って欲しかったぼくには、それが好都合でさ、なんて。
変わらないこと、変われないこと。云えないことも抱えながら、ぼくはぐしゃりと笑ってみる。



「えー、そがんこと言わんでぇ……一回切ってみぃって、世界変わるよ!? なあ、桜さんもそう思うやろ!?」

「……なぜ突然俺に振るかな」

「隣の席やん。あと暇そうやったし」

「素晴らしい理由をありがとう」


皮肉の混じった口調でそう言った隣の席の人――この間やっと、久西桜という名前を覚えた――は、小さく溜息をつきながら手に持っていた本を閉じた。
千夏、この人、全然暇そうじゃなかった気がする。それは口にできないので、代わりにやっぱり千夏はすごいと改めて思う。
短髪に黒縁眼鏡と鋭い目線、冷淡なくらいに整った顔と、あんまり変わらない表情、それから女子らしからぬ一人称は、結構な威圧感を放っているようにも思えるんだけど。
そんな人にも、ただぼくと会話していた席の隣にいたからと、読書中にも関わらず堂々と話しかけられる千夏は、いっそ清々しくて尊敬できる。

すると久西さん、は、それでもさっきまでの会話が聞こえていたのか、ぼくの方をちらりと見遣ると、ちょっと考えるような目をした。
それにしても、強引に引っ張られたとはいえ律儀な人だ、目を合わせたことすらそんなにない隣人の前髪の長さについて議論に参加してくれるなんて。
だけどあんまり真っ直ぐ見てくるので、ぼくは慌てて視線を落としてそれを避ける。


「な、な、どう?」

「いや、どうって……邪魔そうだとは思うが、本人が良いなら、良いんじゃないか?」

「えー!? なん言うとるん久西さん、これ、絶対もったいなかろ!」

「もったいない……?」

「ってうわ、こ、琥珀、聞こえた!?」

「いや、いくら俺に話しかけたとはいえその声量じゃ絶対に聞こえると思う」


的確なことを溜息混じりに指摘した久西さんは、もう一度ちらりとぼくを見ると、なんだか納得したように頷いたが、それじゃ、と本に戻ってしまった。
しかもそのすぐ後にはチャイムが鳴ってしまい、文字通り渋々と言った様子で千夏は席に戻る。
あとにはわけもわからず、伸びきった前髪を弄るぼくだけが、残された。




「……え、切るの?」

「あ、いや、決めた訳じゃないけど……千夏が、切った方が良いって言ってて……その、ゆいも、そう思う?」


何となく放課後までその会話が耳に残っていたぼくは、話題の長い髪の隙間にプラットホームを映しながら、ゆいに言った。
これでゆいにまで切った方が良いと言われたら、さすがにぼくも折れる時なのかもしれない。もともと、大層な理由があったわけでもなし。
強いて言えば、の理由は、千夏には、お姉ちゃんには、たぶん一番ゆいには、言わない方がいい。それは、ちゃんとわかってるから。
そういうことを、ほんの少しずつだけど、ぼくは飲み下していかなきゃいけない。それも、ちゃんとわかってる。ゆいの沈黙を耳に聞きながら、思う。



「…………」

「わ……え、な、なに」


しかし沈黙を破ったのはゆいではなくぼくで、ゆいがしたのはぼくの問いかけに答えることではなく、いつもよくしてくる行為だった。
つまり彼女はいつものようにぼくの顔と目を覆っているそれをぱっと掻き上げてみせたのであって、一瞬にして明るくなった視界には、覗き込んでくるゆいがいた。
結構前から出会い頭によくされていた行為だけどやっぱりちょっと慣れなくて、同じくどこか型にはまってきた後ずさる行動を、ぼくもとる。
そうすると、ゆいはだいたい困ったようにか、からかうみたいに笑う、のだけれど。


「…………」

「えっと……ゆい?」


なぜか今日は押し黙ったままで、こわごわ見上げてみたら、どこか不機嫌そうな顔で俯いていた。普段の彼女らしからぬ、少し幼い表情だった。
ぼくは変にどきりとしてしまって、どうにも声を掛けることができず、とりあえず見ていると、そのうちにゆいはふと顔を上げる。
が、何か言葉を探すように視線を逡巡させるだけで、ゆいは何も言わないまま。そのうちに、電車の到着を告げるアナウンスが鳴り響いて。


「……私は、切らない方が良いと思う」


電車のくる轟音にかき消されそうになりながら、それだけがやっと聞こえた。





その日の夜に姉に相談したところ、姉はどちらの悩みもすっぱりと解決すること――というか、もの――を提示してくれた。
ぼくはその姉の意見に感心することしきりだったので、やっぱり姉は姉なんだな、と思いながらその解決法を実行することにした。


そして次の日学校に行って出会った千夏の反応は上々で、つまりこれで良かったんだろうな、と思ってぼくはある程度満足していたのだけれど。



「あれ……ちょっ、あれー!? み、美穂っち美穂っち、意外な展開だよこれは!! ノストラ……ダメス? もびっくりだよ!!」

「その人の予言、絶対当たりそうにないねえ……どしたどした、智」

「ほら見て見て、美穂っち!!」

「え、あの……ち、ちょっと」


こんな日に限って軽音部の活動は少し長引いていたらしく、いつもの時間にゆいが居るはずの部室に行くと、まだ残っていた賑やかな二人に捕まった。
あの二人に巻き込まれたら逃げられないから、なんてどこか恐ろしいことをゆいから聞かされてはいたが、ぼくがうまくかわせるはずもない。
気がつけばあっさりと小さい方、日下さんといったっけ、その人に捕まったぼくは部室内まで引っ張られたあげく、もう一人の方、五条さんの目の前に押し出された。

ゆいが部室の奥の方で驚いた顔をしたけれど、それが一瞬でちょっと厳しい顔になる。たぶん、だから言ったのに、って思ってる、のかな。
そうは言ってもなかなか逃げられもしないわけで、なぜかぼくの肩をがっしり掴んでくる五条さんに、せめて早めに解放してもらえるよう曖昧に笑いかけた。
が、五条さんは含みのある笑いを浮かべるばっかりで、全然放してくれそうにもない。どころか、どんどん楽しそうな目になってきている。
ぼくはこの人をよく知らないけど、なんだか、まずいなあ、と思ってしまうくらいに、爛々と輝いていた。


「ほおー、ありがちながら、王道こそ正義って展開というか……ねえ、唯香?」

「言ってる意味がわかりません」

「うわー敬語とか怖ーい」

「んー……ねえ美穂っち、智にもわかんない。どういうこと?」

「ま、ざっくり言うと、原石は独り占めにしたいよね、って話かな。いやあ琥珀ちゃん、もったいないもったいない。それもっと出していこう」


「うーんと、うん、よくわかんないっ!! よくわかんないけど、琥珀ちゃん、可愛いー! 知らなかったけど、わかってよかったー!」



その直後にぼくは荒々しく立ち上がってぼくの手を引っ張ったゆいによって外まで連れ出され、いい加減腕が痛かったのだが、それはそれとして。
なんでだかひどく不機嫌な顔でこう尋ねてくるゆいに、ぼくはどう説明したものか、と昨日同様首を捻る羽目になった。



「……それで、誰がヘアピンなんて提案したの?」









犬神五十鈴的展開って言えば伝わるでしょうか。
ありがちだけど、ありそうな話。
美人な葵お姉さんが策士です、Supernovaのafter1でした。

緩い話をと思ったら想像以上に緩くなりました。
これを人は反動と呼ぶのかもしれません。
でもこういう二人が書きたくもあったので。



 

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